監督:山本薩夫、原作:山崎豊子、脚本:山田信夫、撮影:岡崎宏三、編集:鍋島淳、音楽:佐藤勝、主演:佐分利信、仲代達矢、月丘夢路、京マチ子、1974年、211分、東宝。
万俵大介は、阪神間に絶対的な基盤をもつ万俵グループの中核をなす、阪神銀行のオーナー頭取である。それでも阪神銀行は都市銀行中10位であり、大介は、やがてくる金融再編成に向け、阪神銀行が何とか有利な条件で生き延びることができるよう模索していた。
長男・鉄平(仲代達矢)は阪神特殊鋼専務として、自社独自で銑鉄を生産するため、自前の溶鉱炉を建設するのが夢であった。
日銀から大同銀行に天下った頭取・三雲祥一頭取(二谷英明)は、鉄平と昵懇であり、溶鉱炉建設のため、巨額の融資を承諾することになるが、一方、鉄平に対し血の疑惑を拭えぬ大介は、鉄平を疎んじ、やがて、阪神銀行より上位にある大同銀行を吸収合併しようと目論む。・・・・・・
原作と監督は『白い巨塔』のコンビであり、そのときの主演、田宮二郎や小沢栄太郎も出演している。他に、多くの豪華なメンバーが出ており、社会派映画であると同時に、万俵家の家庭内の出来事もテーマのひとつになっているので、華やかな女優陣を随所に見ることができる。
単行本で三冊になる原作を読んでいたので、たしかに長い映画であったが、それでもよくここまで整理し、バランスよい脚本に作り変えたものだと思ったのを覚えている。
監督は『戦争と人間』三部作を撮った山本薩夫であるが、観てしまえば、その他脚本から音楽まで、一流どころの職人が並んでいるのも頷ける。
ラストの横に流れるエンディングで、原作者と脚本の名前のあとに、監督名が出てくる。大変異例だが、監督が、原作と脚本に敬意を表している証拠であろう。
それまでの出演作から、月丘夢路は洋装、京マチ子は和装のイメージがあるが、ここでは逆転した配役となっている。ヴィクター・フレミング監督『ジキル博士とハイド氏』(1941年)には、上流階級の淑女と、飲み屋の育ちの悪いウエイトレスが出てくるが、妖艶な悪女顔でゴシップの多いラナ・ターナーを淑女役に、美貌で清楚な役柄の多いイングリッド・バーグマンを女給役に使っている。
さまざまな女優のシーンを見られるというのは、映画を見る上での醍醐味のひとつだ。
前にも書いたのだが、松本清張と山崎豊子の原作は、大筋がすっきり描かれており、映像化に向いている。そのためか、いずれも大ヒットする。
むろん、巨額の予算が必要であり、スタッフや俳優にはプロが集結する必要がある。
両者の共通点は、いずれもバッドエンディングであり、そこまでいかないまでも、正義のほうがくじける、という結末になっている。
しかしもっと人気を呼ぶのは、そこに介在する人間像が、みな正直に赤裸々に描かれていることに、観客が共感するからであろう。
『白い巨塔』にしても、財前五郎は悪い奴とだけ言えない。冒頭に、苦労している孤独な母親に、現金書留を送るシーンがある。ふつうの人間としてスタートするのである。
しかし、あまりのバッドエンドに、読者から批判が寄せられ、続編を書かざるをえなくなったというおまけもついた。
万俵大介も同様である。台詞にもあるが、頭取として九千人の従業員の生活を預かる統率者という立場であり、座して死を待つとわかっているなら、隙あらば相手を取って食おうとするのは当然である。
『白い巨塔』には、「向こうが権力でくるのなら、こっちはあくまでもカネと押しや!」という財前又一の台詞がある。これは娘婿・財前五郎を助けんとする欲望の一端を表わしている。
これに比べれば、この『華麗なる一族』では、人間の欲望は、合理性のあるものに変化していると言える。
山崎豊子は、この銀行合併劇を書くにあたり、当時の三菱銀行の頭取に取材している。三菱はその数年前、第一銀行と合併する予定であったが、三菱の役員のひと言から合併話が洩れ、その話は潰えてしまった。後に第一銀行は日本勧業銀行と合併し、第一勧業銀行となる。一方、三菱は東京銀行と合併し、東京三菱銀行となる。
阪神銀行の重みを描くには、銀行の内部を撮るしかないが、さすがに銀行はどこもその申し出を断ってきた。唯一、撮影の許可が下りたのが、第一勧業銀行である。ただし、絶対に当行とわからないように、という条件付きだった。あたりまえだろう。
冒頭に、大介の乗る車が交差点を横切ると、カメラが上にパンして、ギリシア建築風の重厚な建物が映り、阪神銀行本店と字幕が出る。その宮殿風の外観に、一瞬、第一勧業銀行の文字が映る。それもおそらく、老舗であった旧日本勧業銀行の建物だろうと思われる。
この映画の前半の終わりに、新年を迎え、大介、鉄平、銀平(目黒祐樹)、美馬中(みま・あたる、田宮二郎)が、初日の出を拝んだあと、キジを撃つシーンがある。鉄平の誤射で、大介のこめかみをケガさせるシーンだ。
この真冬のシーンは、実は真夏に撮っている。これを言わなければ、みな何とも思わないシーンだろう。
映画というのは、こんな大作にあっても、やはり映像マジックなのだ。
ちなみに、黒澤明の『天国と地獄』の後半、真夏に権藤(三船敏郎)が、自宅で芝刈り機を動かすシーンがある。これは逆に、真冬に撮られている。
映画はやはり、興味が尽きない。
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