映画 『ナイル殺人事件』

監督:ジョン・ギラーミン、脚本:アンソニー・シェーファー、原作:アガサ・クリスティ『ナイルに死す』、撮影:ジャック・カーディフ、編集:マルコム・クック、音楽:ニーノ・ロータ、主演:ピーター・ユスティノフ、1978年、140分、イギリス映画、原題:Death on the Nile


『ガス燈』(1944年)で、生意気な感じの女中を演じていたアンジェラ・ランズベリーが、こちらでもおしゃべりな老作家として出演している。


アガサ・クリスティ原作の映画化として、『オリエント急行殺人事件』(1974年)と似た雰囲気ではあるが、『オリエント…』よりはつまらない映画となってしまった。


元来、原作あるものの映画化は、文字を映像に置き換えるという<タブー>を犯すのであるから、結果として、映画がさほどおもしろくなくなるのは仕方のないことだ。映画を小説に変えてみた場合を考えればわかることで、いずれも陳腐なものに化けてしまうおそれがある。したがって原作の映画化は、勢い、脚本化の腕にかかってくると言える。即ち、原作があるものの映画化は、「原作の映画化」ではなく、「原作を素材にした新たな映画づくり」でなければ、結果として陳腐なものに堕してしまう、ということだ。本作品は、「原作の映画化」により内容が陳腐化した代表例であろう。


ストーリーとしても、『オリエント…』と違い、特定の人物に対する殺害事件なので、へたをすれば、テレビのサスペンス劇場ほどに成り下がってしまう。そして、本作品は、まさしくそうなってしまった。

それを<補う>のが、豪華な俳優やら、屋敷、調度品、時代を表わすファッションや装身具、ヘアースタイル、広大な景色や景勝地、そしてナイル川と遊覧船であるが、これらは、それ自体として注目され賛美することがあっても、映画内容にほとんど絡んでこない。道具として注目されるのは、一丁の拳銃や弾丸である。


推理ドラマであるから、どうしても事件解決に関する会話頼みになってしまい、映像の変化や<沈黙が語る>ようなシーンはなく、メリハリに欠けてしまった。ベティ・デイヴィスも、ほとんど見せ場なく、コメディリリーフ役での one of them の登場に過ぎなかった。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。