映画 『質屋』

監督:シドニー・ルメット、脚本:デヴィッド・フリードキン、モートン・ファイン、原作:エドワード・ルイス・ウォーラント、撮影:ボリス・カウフマン、編集:ラルフ・ローゼンブラム、音楽:クインシー・ジョーンズ、主演:ロッド・スタイガー、1964年、116分、白黒、原題:The Pawnbroker


ソル・ナザーマン(ロッド・スタイガー)は、ドイツのユダヤ人の元大学教授であったが、現在は、高架軌道が目の前を走るような、ニューヨークの貧民街で質屋を営んでいる。従業員のヘズス・オルティス(ハイメ・サンチェス)は、プエルトリコ出身で、母親と二人暮らしをしており、スペイン語で会話している。

毎日、次々に、いろいろな客が質草を持ってくるが、ソルは淡々と仕事をするだけである。そこに、社会福祉の仕事をしているという、マリリン・バーチフィールド(ジェラルディン・フィッツジェラルド)も来るが、不愛想に追い返す。・・・・・・


進んでいくうちに、ソルは、ナチスのユダヤ人強制収容所で妻子を殺された過去を持つことが暗示される。今は、妻の妹の家族に生活費を入れ、同居しているが、寝たきりになっている姉妹の老父は、ソルを恨んでいる。


ロッド・スタイガー、39歳のときの作品なので、カツラをつけ、老けたメイクアップをしている。全編にわたり、ソルの過去に尾を引く現在の生きざまを描くシーンであり、内容の上でも、暗い映画である。

マリリンが、孤独なソルに惹かれ、公園で話しても、乱暴な口を利いてしまう。そもそも、このソルの店自体も、このあたりの売春宿や飲み屋を仕切っている黒人のロドリゲス(ブロック・ピーターズ)というボスの出資であり、何かと口を出してくることにもソルは閉口している。


心に深い傷を負った男が、それでも何とか質屋を経営し、妻の妹とその親を養いっているが、特に希望もなく、単純に孤独というわけでもなく、日々、ようやく、いやいやながら生かされているような時を過ごしている。誰に話を聞いてもらうでもなく、愚痴を言うような気にもなれない。


時折、話の流れの中に、ほんの一瞬、ソル自らの過去の記憶が、映像として入る。ソルにしてみれば、今ある目の前の光景は、自らの思い出したくもない過去の一瞬とダブるのである。

映画冒頭では、ソル一家が、野原で楽しんているようすが映される。妻と子供二人、妻の両親がいっしょの楽しそうなひとときだ。それが、過去の良きほうの思い出であって、そこから後の記憶は、すべて、ソルにとっては、思い出したくなくても思い出さざるを得ない光景ばかりなのである。


ソルの内面のドラマであり、ストーリーもゆっくりと進行する。

ルメットの作品はいつもそうだが、静止しているときのカメラのフレームどりが確かな点と、カメラの動きが滑らかであるという点を挙げられる。これは、『十二人の怒れる男』(1957年)以来、一貫している。テレビドラマの演出からキャリアをスタートさせたことが、いいほうに活かされている。


人間の感じる一般的な孤独感とは全く異種の孤独感、自暴自棄な信念、自虐的な行為など、映画にするにも、これを演ずるにも、苦労した作品であったと思われる。

本作品で、ロッド・スタイガーは、第14回ベルリン国際映画祭・主演男優賞を受賞している。『悪徳』(1955年)や、本作品のあとに作られた『殺しの接吻』(1968年)などでの演技とは異なり、ソルの心理を、冷静に表現しなけれならなかった。


クインシー・ジョーンズの芸術的なBGMにも注意したい。

ルメット流の、間接的な反戦映画とでも言えよう。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。