映画 『卍』

監督:増村保造、脚本:新藤兼人、原作:谷崎潤一郎『卍』(1928~1930年)、撮影:小林節雄、編集:中静達治、音楽:山内正、主演:若尾文子、岸田今日子、1964年、90分、カラー、大映。


柿内園子(岸田今日子)が、氏名不詳の「先生」(三津田健)という人物に対し告白をする、という形式で話が進む。「先生」は、顔は映るが、セリフはない。

夫・柿内孝太郎(船越英二)が弁護士事務所を開いたことで、時間のできた園子は、美術学校に通い始めた。

ある日、生徒たちが、楊柳観音の格好をした女性モデルのデッサンを描いていると、校長(山茶花究)がやってきて、園子の絵はうまいが、顔が似ていないと評する。園子はこれに対し、自分の考えを言い返す。

実は、園子には、同じ学校で知り合った徳光光子(若尾文子)という女性があり、女性同士の友情以上の官能を光子に感じる。

園子は夫のいない昼間、光子を自宅に呼び、その裸体を見たいと言い出す。光子は躊躇するが、結局、園子の前で全裸になる。一緒に散策などするうち、二人は、同性愛のような関係になり、光子は園子を「姉さん」と読ぶまでになる。・・・・・・


若尾文子が、珍しく洋装で出ている。岸田今日子のねっとりした話し方が、園子にぴったりだ。

単純に、二人の関係が描かれ続けるのではなく、終わりちかくには、孝太郎も光子と関係をもつことになる。また、光子に好意を寄せる綿貫栄次郎(川津祐介)は、光子との結婚を望んでいるが、光子の心が園子のほうに向いていることを知るや、園子を説いて、二人で光子を大切にする、という趣旨の誓約書まで書かせる。


卍は、単なる同性愛物語ではなく、園子、光子という女二人に、孝太郎、栄次郎という男二人が加わることを象徴する文字であり、題となっている。


原作の香りを失わしめない文芸映画である。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。