映画 『殺しの接吻』

監督:ジャック・スマイト、製作:ソル・C・シーゲル、原作:ウィリアム・ゴールドマン、脚色:ジョン・ゲイ、撮影:ジャック・プリーストリー、音楽:スタンリー・マイヤーズ、主演:ロッド・スタイガー、リー・レミック、ジョージ・シーガル、1968年、108分、原題:NO WAY TO TREAT A LADY


変質者による連続女性殺人事件と、その犯人を追う風采の上がらない刑事との駆け引きがテーマ。

リチャード・フライシャー監督の『絞殺魔』(1968年)同様、ボストン絞殺魔事件が元になっている。本作品は、事件をヒントに、ウィリアム・ゴールドマンが書いた原作を元にしている。


犯人ギル(ロッド・スタイガー)は、言葉巧みに、一人住まいの女性宅に入り込み、相手を安心させ、親しくなるふりをして、後ろに回り、女性の首を絞め殺す。死体はそのままバスルームに運ばれ、便器に座らされていた。女性は中年から老年までさまざまだが、共通点は、死体の額に、口紅で、女性の口を書いている点だった。

たまたま一件目の事件の捜査に当たったモーリス(ジョージ・シーガル)が、新聞記者の質問に答えて、犯人像を讃えたコメントをしたため、これを新聞で読んだギルは、モーリスを名指しで電話をかけてくる。こうして、警察に、逆探知のチャンスは何回かあったものの、それを知るジルは、いつも探知寸前のところで、電話を切るのであった。

一件目の事件のとき、階段でギルとすれ違ったケイト(リー・レミック) は、犯人の顔を確認するためモーリスに呼び出されるが、それを機に、モーリスはケイトと付き合うことになる。・・・・・・


ギルは、毎回、鬘をかぶり、ユニフォームを着、口髭を蓄えるなど、さまざまに変装し、女装するときもある。いろいろな言語を下手まがらも使いわけ、まさに七変化を繰り返しつつ、女性を殺害していく。この変装ぶりが実に滑稽である。


業を煮やしたモーリスは、ある件をきっかけに、上司を説得し、実際には発生していない第6の殺人のニュースを新聞にわざと書かせる。動揺したギルは、モーリスに電話してくる。興奮したギルは、自らの特徴をうっかり話してしまうが、もう少しというところで電話は切られ、また逆探知はできなかった。


本作品は、ギルの異常な殺人が、母親に対する歪んだ敬愛からきていることになっていて、ラスト近く、映画館の支配人であるギルはとぼけ通したが、壁にあった女性の絵を見て、ぴんと来る。そして、翌日また、モーリスを訪ね、ギルを追い詰めることになる。


脚本に、妙にひねったところもなく、その意味では過不足ない仕上がりだ。

『絞殺魔』のように、全編シリアスにとらえた映画ではなく、かなりユーモラスな会話やキャラクターも挿入されている。

刑事としてしがないモーリスは、家では、母親と二人暮らしであり、女性については奥手であり、いまだに口うるさいこの母親の話し相手となっている。このモーリスが、事件で知り合ったケイトと、ようやくうまく行くのだが、終盤、ギルは、このケイトにまで襲い掛かるのである。


第6の殺人をでっち上げてジルを追い込む方法は、自ら絞殺魔だと名乗り出たニセの犯人である小人のおっさんの登場がきっかけとなっている。この男が帰り際に扉に書いた「第6の犠牲者」という言葉が、モーリスにヒントを与えたのである。


室内シーン以外は、ほとんどをニューヨーク市内のロケで撮っている。人払いなどしないまま、撮影が行われているため、パトカーが到着するシーンなど、リアルな効果を生んでいる。

カメラワークに特に変わったところもないが、主演二人にしっかり演技をしてもらうことで、カメラが動いて妙に芸術の香りをさせるのを避けた、というところだろう。


ロッド・スタイガーは、前年、『夜の大捜査線』(1967年)にアカデミー主演賞を受賞している。このときは警察署長役であったが、本作品では変質的殺人者である。すべてのシーンいて、その演技力は高く認められる。初めに見たのは『波止場』(1954年)でであった。

ジョージ・シーガルもいい俳優だ。この翌年には、『レマゲン鉄橋』(1969年)で、ハートマン中尉を熱演した。

リー・レミックも好きな女優だ。1991年、55歳で若くして亡くなってしまったが、『酒とバラの日々』(1962年)の演技は、ジャック・レモンとともに、大いに評価されてよい。

こうした顔ぶれで出来上がった作品であるということもあり、内容とはまた別の意味で、興味深い。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。