監督:リチャード・フライシャー、脚本:エドワード・アンハルト、撮影:リチャード・H・クライン、編集:マリオン・ロスマン、音楽:ライオネル・ニューマン、1968年、116分、原題:The Boston Strangler
『ミクロの決死圏』(1966年)や『トラ・トラ・トラ!』(1970年)で知られるリチャード・フライシャー監督作品。『手錠のまゝの脱獄』(1958年)や『お熱いのがいお好き』(1959年)などのトニー・カーチスと、 『怒りの葡萄』(1940年)や『十二人の怒れる男』(1957年)などのヘンリー・フォンダの顔合わせもおもしろい。
ボストンで実際に起きた連続女性絞殺事件をモデルにしている。
ボストン市内で、老女を考察する事件が立て続けに起こる。警察は、被害者がみな、一人暮らしの高齢の女性であり、絞殺に使われたスカーフなどに外科結びという二重結びがほどこされていることなどから、同一犯人のしわざとして捜査を続けるが、一向に容疑者に至らず、少しでも怪しいうわさがあれば、片っ端から男を 捕まえていった。
また、用心深い老人たちが、いとも簡単に犯人を家内に入れてしまうところも不思議であった。一人暮らしのため、寂しさがはたらくのかと思われたが、今度は、女友達二人と同居している若い女性が、同様の手口で殺され、捜査は振り出しに戻る。
次第に犯行はボストン近郊にまで及び、現場警察にだけはまかせておけないと判断した検察庁は、検事総長の命令で、検事総長補佐の検事ジョン・ポトムリー(ヘンリー・フォンダ)に、陣頭指揮をとらせ、各警察署でばらばらにやっていた捜査を、捜査本部のもと、一元化して捜査することになる。
ここまでが前半である。
やがて、ある窃盗未遂事件をきっかけに、アルバート・デザルヴォ(トニー・カーチス)という男が容疑者として浮かぶ。デザルヴォは配管などの修理工で、外回りの仕事をしており、それぞれの事件の起きた現場と、その日時にデザルヴォが仕事をしている場所とは、至近距離にあった。
容疑が固まったとして、ポトムリーらはデザルヴォを呼び、ハーフミラーのあるへやで取調べをおこなう。デザルヴォは、各現場に行ったことは認めるのであるが、人殺しは覚えていないと供述する。・・・・・・
ほとんど音楽が入らず、笑うような要素もなく、ユーモラスな場面もない。次々に殺害が起こるなどのシーンで、画面内に複数の小さな画面をつくったり、画面の全部を使わないなど、画面の使い方も個性的だ。
死体がころがっている床から仰角で撮る撮り方はよくみられるが、デザルヴォの取調べの最中に、デザルヴォの 幻想としていくつかのシーンが挿入されているのもおもしろい。
医師のことばから、デザルヴォが二重人格者であることがわかるのだが、ポトムリーはそれを承知で、細かい尋問を続けていく。
二人のいる取調室は、ハーフミラーのところ以外、床も壁も真っ白であり、ラスト近くに長回しによるデザルヴォの独白があり、トニー・カーチスの表情アップを含め、白い背景で男がひとり語るという異様さの演出は興味深い。
トニー・カーチスの、殺しの人格が出てくるところでも、極めて日常的ななかでの変容という演技は、みごとであった。
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