映画 『わたしを離さないで』

監督:マーク・ロマネク、原作:カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(早川書房刊)、脚本:アレックス・ガーランド、撮影:アダム・キンメル、編集:バーニー・ピリング、音楽:レイチェル・ポートマン、主演:キャリー・マリガン、アンドリュー・ガーフィールド、キーラ・ナイトレイ、 2010年、105分、英米合作、原題:Never Let Me Go


キャシー(キャリー・マリガン)が、トミー(アンドリュー・ガーフィールド)の手術のようすを、ガラス越しに見ている。今は成人となっているキャシーが、子どもの頃を回想するところから、物語は始まる。


1978年、イギリスの人里離れたヘイルシャムという寄宿舎で、キャシー、トミーとルース(キーラ・ナイトレイ)は知り合う。

一見、普通の寄宿舎でありながら、校長(シャーロット・ランプリング)の挨拶に、念の入った健康についての話があり、生徒が出入りする際には、そのつど、腕につけているセンサーをかざして通るなど、不思議な光景が映される。

彼らは、将来、ドナーとして、必要な患者に臓器を提供するためだけに育てられている子どもたちだということが、少しずつわかってくる。


1985年、コテージという施設に移ると、ルースとトミーは親しくなり、キャシーはそれを横目に音楽を聴くしかなかった。それは、ヘイルシャム時代に、トミーがキャシーにくれた音楽テープで、「わたしを離さないで」という曲であった。これがタイトルになっている。・・・・・・


子どもたちの運命がわかってしまうあたりから、内容そのもののもつ重苦しいトーンが支配してくるのはやむを得ない。映像も色彩も、派手なものはひとつもなく、おそらくイングランドののどかな風景や桟橋、錆びた廃船の置かれた浜辺などを取り入れ、むしろ、すがすがしく、籠の中の息苦しさを排するかのような雰囲気で進んでいく。映像に手術などの生々しいシーンもない。寄宿舎の建物なども、古めかしいくらいに伝統的で重厚だ。

ドナーという言葉が馴染みだして、もうだいぶ経つ。こういう機関が現実にあったかどうかは知らないが、映画の上では、1994年に終了したことになっている。


中盤から、臓器提供者同士が、強い愛で結ばれている場合は、臓器提供を猶予されるという噂が、まことしやかなものとして、登場人物3人の間に意識される。この噂こそ、後半からのテーマとも言える。


ストーリー設定は残酷なものであるのに、穏やかに生活する、まだ何も知らない子供たち…、彼女らがやがて大人になり、甲斐甲斐しく運命に従って生きる姿は胸を打つ。遅かれ早かれ、提供者にとっては死が訪れるのであり、キャシーとトミーにも、例外なく、当然の運命がやってくるのだ。

ラスト近くに、シーンとしての山場があり、このへんから、周囲で女性客の鼻をすする音がしてくる。このあたりから、エンドクレジットまでは、まことに空しくやりきれない味わいを残す。


たしかに、3人の演技は頼もしいと感じた。特に、キャシー役のキャリー・マリガンは、光で涙のつぶが映るシーンはじめ、細やかな演技に終始していた。

まさか、ここで、シャーロット・ランプリングに出会うとは思わなかった。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。