監督:ローレンス・ハンチントン、製作:シドニー・ボックス 、 ジェームズ・メイソン、原作:ジョン・P・モナハン、脚色:ジョン・P・モナハン 、パメラ・ケリノ、撮影:レジナルド・ワイヤー、編集:アラン・オスビストン、作曲:バーナード・スティーヴンス、指揮:ミューア・マシーソン、音楽演奏:ロンドン・シンフォニー・オーケストラ、主演:ジェームズ・メイソン、1947年、83分、イギリス映画、原題:The Upturned Glass(=上向きにされたグラス)
ジェームズ・メイソン、38歳のときの作品。人気を不動のものにしたころの映画で、本作品では製作も兼ねている。脚色のパメラ・ケリノは当時の妻であり、出演もしている。
犯罪心理学の教授が(ジェームズ・メイソン)は、学生の前で講義を始める。凶悪な犯罪は、凶悪な人間が起こすものと思われているが、まともな人間も凶悪な犯罪を犯すものだ、といった内容を、優秀な脳外科専門医マイケル・ジョイスという架空の人物を想定して説明していく。
ジョイスは、失明の危険のある女の子アン・ライト(アン・ステーヴンス)の手術をおこない、成功して目は正常に戻る、アンの母エマ・ライト(ロサムンド・ジョン)とジョイスは、娘の手術以降、相思相愛の関係になるが、ある日突然、エマは、自宅の二階から落ちて死んでしまう。
不審に思ったジョイスは、審問をおこなう法廷で、アンの受け答えのさなか、傍聴席にいるケイト・ハワード(パメラ・ケリノ)の顔を見て、その指図のとおり証言しているように見えた。ジョイスは、真相を確かめようと、ケイトに近づこうとする。・・・・・・
エマを愛していたジョイスは、エマを心理的に追い込み、窓から投身自殺をさせたケイトを許せず、ケイトにも同じ仕方で窓から飛び降りろと強要する。ケイトは激しく抵抗するが、もののはずみで落下してしまう。
ジョイスにとって結果的に同じことになったが、一人での自殺でなく、自分が突き落としたことになり、死体をくるんで車の後部座席に乗せて、屋敷を立ち去る。
霧の立ち込めてくる中、立ち往生していると、見知らぬ医師が近付いてきて、近くの家で、具合の悪くなった少女がいて、自分だけでは何ともしようがないので手伝ってくれ、と言われ、車でしぶしぶ付いていくが、実際に少女を診断すると、ジョイスは、自らが医師である自覚を取り戻し、その場で緊急の手術をおこない、成功させる。
この間、車の後部座席には、死体が乗ったままであり、このあたりの一連のシーンから、邦題をつけたのであろう。
学生に前で、自らのことを、外科医にたとえて講義していた男は、まさに自分のことを話していたわけで、講義終了直後、的を射た質問をした学生に対し、若干の動揺を隠せなかった。
正常な人間でも凶悪な犯罪を起こす、という講義は、実は、この犯罪心理学者自身のことであり、それを、講義とその回想シーンを交えて描いている。
セリフは細やかではあるが、短いやりとりで済ませている。カメラは抑制した動きを見せ、心理的な緊迫感を醸成している。
ジョイスとエマは、ピアノを弾いたりクラシックを聴くなどの共通の趣味があり、自然と、そうしたBGMが適宜入ることになる。
緊急手術を終えると、ジョイス(或いは、ジョイスなる人物)は、死体を乗せたまま、誰もいない断崖絶壁の地に着く。真下には、高い波が繰り返し、押し寄せている。
ここから死体を投げ落とせば、証拠隠滅を図れるだろう。ところが、意外なことに、ジョイスは、自ら身を投げるのである。
サスペンス味の心理ドラマであるが、ストーリー自体はよく練られており、これで83分の映画であったかと、意外に思うほど、内容は一定のテンポで進み、ラストまで充実したものとなっている。
0コメント