映画 『ローズマリーの赤ちゃん』

監督・脚本:ロマン・ポランスキー、原作:アイラ・レヴィン、製作:ウィリアム・キャッスル、製作総指揮:ロバート・エヴァンス、撮影:ウィリアム・A・フレイカー、編集:ボブ・ワイマン、サム・オスティーン、音楽:クシシュトフ・コメダ、主演:ミア・ファロー、ジョン・カサヴェテス、1968年、136分、原題:Rosemary's Baby


ミア・ファロー、23歳、ポランスキー、35歳のときの作品。


なかなか仕事の来ない俳優のガイ・ウッドハウス(ジョン・カサヴェテス)と、その妻ローズマリー・ウッドハウス(ミア・ファロー)は、ニューヨークの高級賃貸マンションを下見に来る。夫婦は、案内された一室を気に入り、そこを借りることにした。

隣室に住む高齢のローマン・カスタベット(シドニー・ブラックマー)・ミニー・カスタベット(ルース・ゴードン)夫婦は、ミニーがお節介ばあさんで、よく出しゃばってくるが、悪い人たちには見えない。

ガイの新しい仕事の役は、ライバルにとられ意気消沈するが、ローズマリーは励ましつつ、壁紙などを作っている。しばらくして、ガイのライバルが失明したため、役はガイに回ってくる。

ローズマリーは子供を欲しがっていたが、ミニーからもらった薬草入りの飲み物を飲むうち、気分が悪くなり倒れてしまう。その晩、ローズマリーは悪夢のような幻想を見た。悪魔のような人間たちが集い、そのうちのひとりの悪魔に犯されてしまう夢だ。

翌朝、ガイに尋ねると、君が欲しがったから急いだ、という。だが、ロースマリーのからだには、爪で引っ掻いたような痕があった。・・・・・・


若い母親が、悪魔の集団によって、悪魔の子を授かる、という話だ。夫も、いつの間にか、「連中」の仲間となっていた。この孤立した状況で、ローズマリーは、何とか授かった子供を、悪魔の手から守ろうとするが、時すでに遅しで、おなかにいる赤ちゃんはすでに、悪魔の子であったわけである。信用していた産婦人科医でさえ、悪魔の仲間であるローマンに手を貸してしまう。ローマンこそ、この悪魔社会の中心人物だったのだ。


ミア・ファローのスリムな体型と、頬の窪んだ容姿は、この役に打ってつけであった。初め長かった髪も、途中からショートヘアになり、心身ともに悪魔に犯されていく悲劇のヒロインを、みごとに演じ切っている。


ラストになり、自分のへやの奥から隣の家に入ると、外観は、華やかな社交場に見えても、それは、悪魔の跡継ぎを得た悪魔社会の祝典なのであった。

ローズマリーは、おそるおそる揺りかごに近づき、我が子を見る。画面には赤ちゃんの姿は映らない。悪魔の子の顔を見て、ローズマリーは絶叫するが、居合わせた人々(悪魔たち)から祝福され、悪魔でも我が子には違いないと目覚め、再度揺りかごに近づくと、ローズマリーは母の顔になっている。

ロースマリーも、この悪魔社会の一員となり、跡継ぎを生んだ女性として、悪魔の歴史を引き継いでいくだろうことを暗示して、映画は終わる。


人間不信、人の世の不条理、不合理、非合理を描き続けてきたポランスキーの面目躍如たる作品となった。

これら不条理の世界は、犯罪というカタチをとって『チャイナタウン』(1974年)に引き継がれている。

オープニングの音楽や、適宜入るBGMにも、注意したい。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。