監督:ノーマン・ジュイソン、脚本:スターリング・シリファント、原作:ジョン・ボール『夜の熱気の中で』、撮影:ハスケル・ウェクスラー、編集:ハル・アシュビー、音楽:クインシー・ジョーンズ、主演:ロッド・スタイガー、シドニー・ポワチエ、1967年、109分、カラー、配給:ユナイテッド・アーティスツ、原題:In the Heat of the Night
深夜、ミシシッピ州のスパルタという田舎町の駅に、スーツにネクタイの黒人(シドニー・ポワチエ)が、列車の乗り換えのため、降り立った。ちょうどその数時間後、コルバートという、市にとっては有力な人物の遺体が、路上に転がっていた。深夜の巡回をしていた巡査のサム(ウォーレン・オーツ)は、パトロール中にその遺体を発見する。署に報告し、署長ビル・ギレスピー(ロッド・スタイガー)の命令で犯人を捜索中、駅の待合室にいた黒人を発見し、黒人=犯人と思い込んだサムは、彼を署に連行する。署長の質問に答えるうち、この黒人の正体がわかる。彼はペンシルベニア州フィラデルフィア市警の殺人課の刑事・ヴァージル・ティッブスであった。ヴァージルの上司の指示で、彼は現地で、コルバート殺しの犯人逮捕に協力するよう指示される。・・・・・・
昔から、名前だけは知っているが、そのうち観ようと思いつう、年月が経ってしまった作品も多い。本作品もそのうちの一つだ。アカデミー賞作品賞、主演男優賞(ロッド・スタイガー)、脚色賞(スターリング・シリファント)、編集賞(ハル・アシュビー)などを獲得していることは知っていたし、有名なテーマ音楽をつくったクインシー・ジョーンズも知っていた。今頃になって見るか、と言われる人も多いだろうが、逆に、ようやく今観られて、それはそれでよかったということもある。
偶然なのか、クインシー・ジョーンズは、ロッド・スタイガー主演の『質屋』(1965年)、 シドニー・ポワティエ主演の『いのちの紐』(1965年)の音楽も担当している。
アメリカ南部ミシシッピ州が舞台であり、黒人への偏見がまだまだ残る田舎町が舞台となっている。署長自身も部下たちも街の不良たちも、その点では同じだ。だが、殺されたコルバートの夫人レズリー(リー・グラント)は、安直でいい加減な捜査について署長に文句を言い、ヴァージルの手腕に期待する。
ヴァージルの丹念で有能な捜査により、少しずつ犯人像が明らかになり、土壇場で犯人とその動機が判明する。犯人は意外なところにいた、ということになる。
そうした犯人捜しのサスペンス調のストーリーではあるが、決して饒舌でない台詞のやりとりや間の置き方で、白人と黒人の葛藤が露骨に表され、物語を奥行きのあるものにしている。だが、田舎町の署長でもあり、殺人捜査の専門でないギレスピーは、いやでもヴァージルの手を借りざるを得なくなり、署長ら署員が、ヴァージルに従わざるを得なくなっていく展開は興味深い。
キャラクター描写もきちんとしている。ギレスピーは常にガムをくちゃくちゃ噛んでおり、締まりのない体つきだ。充分な証拠調べもせずに、無実の者を牢屋に入れるのが得意だ。ヴァージルさえ入れられる。サムは、最初の巡回シーンで、若い白人女・デロリス(クェンティン・ディーン)の家の前を通り過ぎるとき、デロリスが一糸まとわぬ姿でへやのなかをうろうろしているのを盗み見る。ましてや、コルバートの遺品から大金が盗まれた晩、それと同額の預金をしていることをギレスピーに見つかり、無実の罪で一度は牢屋にぶち込まれる。ヴァージルは、初めから最後まで、色は異なるが、スーツにネクタイで登場する。
終盤、ギレスピーの自宅で、ヴァージルと向かい合い、笑顔で酒を飲みかわすシーンがよい。終始ふてぶてしい表情をしていたギレスピーだが、このシーンでのみ、唯一プライベートな台詞を吐く。この後、真犯人が割れ、翌朝、駅で二人は別れを告げる。
ギレスピーがヴァージルの大きな旅行かばんを持ってやり、ホームで簡単に最後の挨拶を交わす。このときのロッド・スタイガーの表情は、何とも言えない。
ロッド・スタイガー、42歳、シドニー・ポワチエ、40歳のときの映画だ。スタイガーとポワチエは2歳しか離れていないが、ポワチエは若く見える。或いは、スタイガーはメイクを施しているのだろう。
スタイガーの本格的な映画デビューは、1954年の『波止場』であり、『質屋』(1964年)の抑えた演技は、本作品と対象的なものである。
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