監督:大森立嗣、脚本:大森立嗣、港岳彦、撮影:辻智彦、編集:早野亮、照明:大久保礼司、録音:高田伸也、美術:大原清孝、音楽:岩代太郎、主演:長澤まさみ、奥平大兼、郡司翔、2020年、126分、PG12指定、配給:スターサンズ、KADOKAWA
パチンコ狂でだらしのない母親・三隅秋子(長澤まさみ)は、夫と別れたあと、働きもせず、一人息子の小学生・周平(郡司翔)と飲んだくれの自堕落な生活をしている。実家に行き、両親や妹に借金を頼むが、これ以上貸せない、前の分を返してから、などと言われ、断られる。たまたまゲームセンターで、秋子は川田遼(阿部サダヲ)という男と仲良くなり、自宅アパートに引きずり込むが、遼も働きもせずぐうたらな生活を送るのみであった。そんな環境にあっても、周平は母の言いつけ通り動き、母にとっては素直な子供であった。・・・
実際に埼玉県で起きた事件を元にしている。映画は、75分を境に、後半に移り、秋子が、二人目の子供(女児、5歳)、17歳になっている周平(奥平大兼)と三人、橋のたもとで路上生活を送っているところに、福祉の仕事をしている高橋亜矢らが通りかかるところから始まる。身勝手な秋子ゆえ、福祉事務所の世話から逃げ、周平に勉強する機会も与えず、周平の就職先からも借金を断られると、また三人で放浪生活に戻り、やがて、秋子は周平に、実家の両親殺しをほのめかし、周平はそれを決行し、秋子には執行猶予がつくが、周平は12年の懲役刑を受けることとなる。
子供にとっては残酷なシーンも多く、PG12指定は納得できる。いよいよガスも電気も水道も止まり、カップラーメンの中身を出してかじる周平の姿は痛々しい。あちこちの簡易宿泊所やラブホテルを転々とするような生活を繰り返していても、周平は反抗もせず秋子に付いていく。
『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(2010年)や『タロウのバカ』(2019年)などを撮ってきた大森であり、同様に底辺生活者をクローズアップすることは、彼にとって常に中心的なテーマなのだろう。
だらしのない母親と子供のやりとり自体は、観る側にとって不快の連続であるが、この<不快な現実の丹念な描写>こそ大森の狙いである。きれいなもの、整ったもの、きちんとしたものとはおよそ縁のない醜悪な現実を、それを突き放さず、暖かみとまでは言えないにしても、丁寧でバラエティに富んだカメラワークで丹念にとらえている。
全身、アップ、固定・手持ち、近景・遠景、室内(セット)・屋外シーンなどを織り交ぜ、会話を入れないシーン、長回しなども効果的に挿入されている。
秋子が主役なのか、周平が主役なのか、あるいは両者の関係がテーマなのか、・・・そういった一元論的な円盤の上に立つ議論そのものを破壊し、ひたすら現実を丁寧に追う姿勢こそ、映像としての本作品の力強さである。
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