映画 『薄化粧』

監督:五社英雄、脚本:古田求、原作:西村望、撮影:森田富士郎、編集:市田勇、音楽:佐藤勝、主演:緒形拳、1985年、124分、松竹。


留置所で、松井(大村崑)、真壁(川谷拓三)の両刑事に、妻(浅利香津代)と子の殺しについて厳しい取調べを受けても、坂根は一向に自供しなかった。ある晩、隠し持っていたカミソリで首を切り自殺を図るが、一命をとりとめる。その後、坂根は、床に穴を開け、掘り進み、脱獄する。以降、素性を隠し、ニセの名前を使って、各地の飯場を渡り歩く。身元がバレそうになると、また他の飯場へと移った。最初の飯場にいるとき、同僚の氏家(竹中直人)と飲みに行き、そこで、内藤ちえ(藤真利子)と出遭う。・・・・・・


妻子を殺害した冷酷な凶悪犯、坂根藤吉(緒形拳)の生きざまを描いた作品で、緒形拳にとっては、『復讐するは我にあり』(1974年)に次いで、逃走する凶悪犯人を演じたことになる。両作品を比較するかぎり、こちらのほうがやや見劣りする。

『復讐~』のほうも、現在から過去に遡って描かれるが、過去のなかでは、さほど時間が前後しない。こちらは、坂根が脱獄したあとの現在と、坂根の過去が入り混じって描かれる。この脚本により、現在の至る坂根の自分史が一層明らかになり、また、映画として飽きがこない。


『復讐~』では、後半、浜松の宿に落ち着き、そこにいるハル(小川真由美)と懇ろになるが、それはいわば、下半身でつながる男女の間であり、凶悪犯・榎津はそのハルでさえ、簡単に理由もなく殺してしまう。

本作品では、坂根は女ったらしであり、いろいろな女に手を出すが、最後には、引っ越ししたちえの元に行き、情を交わしたあとも愛撫をつづけ、出会ったことに感謝の言葉さえ口にする。坂根にとってちえは、初めて出会う菩薩のような存在であった。だから、坂根はちえを殺さない。

それゆえ、坂根は初めて自分の身の上をすべてちえに話し、自分といっしょにいては不幸になるとして、ちえと別れる決心をする。ちえはそれまでに、坂根が凶悪犯だということを知っていたが、坂根を追って来た真壁にも、坂根を知らない、と嘘をつき、その後再会したことから、この幸せを逃すまい、と決意する。

やはり別れられないと決意したちえが、坂根を駅まで追って来たので、ちえを張り込んでいた真壁らは、自然に坂根ともようやく再会する。このラストは皮肉であり、坂根はちえが、自分を警察に売ったのではないか、という疑念の顔つきをちえに見せるが、ちえは、自分がここまで来たことで、警察を連れてくる結果となったことを後悔し、また、坂根と一緒に過ごすという理想は、破壊されてしまったことを思い知る。ただ、このラストの部分に、坂根とちえの台詞はない。線路を隔てたホームの上で、互いに向かい合ったままの顔の演技である。


薄化粧とは、あるとき、ちえが、坂根に施した化粧である。化粧といっても、眉墨をわざと濃く書くだけだ。手配写真の坂根は、眉も薄く悪党づらであるが、眉墨を濃く書き、メガネをかけると、別人のほうな顔になる。ラストで駅に向かうときも、坂根は、この「化粧」をした。ちえも同じような化粧をして駅に向かった結果が、上のとおりとなってしまうのである。


ロケや撮影場所も丹念に探したようすがあり、カメラのフレーム内や、望遠を活かした撮り方など、撮影についてもプロの仕事だとわかる。音楽がやや合っていないように思う。


坂根は、自分で殺しておきながら、小さな仏壇を買い、どこの飯場に行くときも、その仏壇を持ち歩いている。仏壇といっしょに、妻と子のしるしとして、小石を持ち歩いている。一方で、欲に駆られ、炭鉱では、労働者を鎮めてくれと使用者側から渡された大金を独り占めし、女を抱くカネとして使ってしまう。

キャラクターとして、統一感を持たせにくいので、監督や緒方は悩んだところもあったかと思う。多くの俳優や女優を見ることのできるのもうれしい作品だ。


大村崑や川谷拓三など、お笑いやヤクザ映画で知る俳優を刑事役に、藤真利子、浅野温子を汚れ役に当てたのも効果的だ。藤真利子は乳房を見せるが、いい役をもらったものと思う。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。