監督:今村昌平、原作:佐木隆三、脚本:馬場当、撮影:姫田真佐久、編集:浦岡敬一、音楽:池辺晋一郎、主演:緒形拳、小川真由美、三國連太郎、倍賞美津子、小川真由美、1979年、140分。
何回も観ている作品。長くても飽きがこず、映画としておもしろい。日本の映画らしい泥臭さ、あくの強さ、理不尽さ、滑稽味、官能、猥雑、男や女の存在感、生きていくことの生命力、…いろいろな要素が描かれている。
俳優陣の層の厚みも圧倒的で、すぐ殺されるのに殿山泰司まで出てくる。清川虹子、ミヤコ蝶々は準主役であり、絵沢萌子、白川和子などもいい味を添えている。
ある殺人犯の逃避行と、なお繰り返される殺人や詐欺を描いた物語。
冒頭、雪のちらつく山道をパトカーが登ってくる。後部座席には、刑事に挟まれて、強盗殺人犯・榎津厳(えのきづ・いわお、緒形拳)が護送されてくる。
その後の取り調べから、回想シーンに移る。
映画はこれを繰り返しながら、榎津の子供時代のエピソードや、家庭のようす、結婚、浜松までの逃避行が描かれていく。
浜松の旅館は後半の舞台となり、あたかも現在進行形のように語られ、ここが榎津の終着点となり、逮捕につながる。
画面上では九州・筑紫から東京・池袋までが出てくるが、浜松が後半の中心であり、時折、九州の実家の現在が挿入される。
脚本と配役、演出、俳優の演技力の充実度は他の追随を許さない。
拳銃を使うのでなく、鈍器や刃物、素手で殺すことが、この映画を力強い作品に仕上げている一因ではあるが、登場人物の細部に至るまで、丁寧に書き込まれた脚本による勝利でもある。
ラストでは、榎津は死刑に処せられ、その遺骨を父親(三国連太郎)と妻(倍賞美津子)が、山の上から下に向かって投げる。家族の墓に収められない榎津の骨は、空に撒かれるよりなかったのだが、骨も骨壺も空中で止まる……単なるストップモーションであるが、榎津の死後のあがきとでもいうものを現しているかのようだ。
浜松の旅館のハル(小川真由美)とその母(清川虹子)に榎津の正体がわかったあと、三人が食事をするシーンが好きだ。
警察に追われ放浪する殺人犯と、ハル母子のみじめな光景は、みじめさ悲しさを超えてさらには滑稽でさえある。しかし会話の内容は凄まじいのだ。
そう、この映画の個性は、力強さにあるが、それは健康で明朗な力強さなのではなく、悪や邪道をくぐりぬけて、鬱屈し堆積しながら、なおも外に出んとする凄まじいまでの力強さなのだ。
人間の悪が不条理であるなどと説教めいた話はどこにもない。
悪の限りを尽くしても、さらに、自由なほどにやりたい放題に殺し、奪い、逃げて、処刑された、ある男の生きざまを、これでもかと見せつけてくれる映画だ。
あらためて小川真由美はうまいと思った。『鬼畜』(1978年)でも、最初しか出なかったがよかった。『白い巨塔』(1966年)あたりではそれほどでもないが、円熟するほどにうまくなっている。
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