映画 『ある少年の告白』

監督・脚本:ジョエル・エドガートン、原作:ガラルド・コンリー『Boy Erased: A Memoir』、撮影:エドゥアルド・グラウ、編集:ジェイ・ラビノウィッツ、音楽:ダニー・ベンシ、ソーンダー・ジュリアーンズ、主題歌:『Revelation』(トロイ・シヴァン)、主演:ルーカス・ヘッジズ、ニコール・キッドマン、ラッセル・クロウ、2018年、115分、原題:Boy Erased(=消された少年)


バプテスト教会の牧師であるマーシャル(ラッセル・クロウ)とナンシー(ニコール・キッドマン)を両親にもつ19歳の大学生ジャレッド・エモンズ(ルーカス・ヘッジズ)は、ゲイであることがわかり、両親と衝突する。マーシャルは、教会が支持する同性愛者の転換プログラムに参加するようマーシャルに言われ、その矯正施設に入ることを余儀なくされる。

そこには、同じようにゲイやレズの若者がおり、厳格な規則のもと、集団生活を送ることになる。外出は認められていたので、たまに外に出ると、母ナンシーと食事するなどしていた。施設では、セラピストの中心となるヴィクター・サイクス(ジョエル・エドガートン)の指導を受けるが、少しずつジャレッドは、ゲイの矯正という考えやサイクスの指導の仕方に反発を覚えるようになる。・・・・・・


同性愛は許されざるもの・深刻なる罪として、施設で矯正しなければならない、という発想が前提となっており、また、矯正することで直ると信じている大人たち教会関係者が多いのは驚嘆に値する。

最終的に、ジャレッドは、母の手を借り、施設を逃げ出すが、ラスト近く、4年後のシーンになっても、父とだけは、わだかまりが消えないままとなる。

LBGTQ問題は、今や世界的な話題となっているが、こうした考え方が、アメリカの一部教会関係者にいまだに根強いのも、事実なのであろう。


ストーリー自体は、淡々と進んでいく。はじめ、父親の言うことに、外面上は素直に従ってきたジャレッドだが、同じ施設の若者らとの会話や、他の若者が受ける扱いなどから、徐々に、本来自分のもっている考えを信じるようになり、施設のやりかたそのもに反発していく。ジャレッドは、ゲイであっても、そのありようのまま、ゲイであることを認め、周囲に隠すことなく、自然に生きていくという選択をする。


こうして、ジャレッドは、ようやく、本来の<自由>を手に入れた。母も、初めは、息子がゲイであることにショックを受けていたが、ジャレッドの立場になり、母としてそうした現実を寛容に受け入れていく。父は、息子がかわいいに違いないが、牧師でもあり、信念をもって、最後までジャレッドがゲイのままに生きることを認められないまま、映画は終わる。


内容からして、いわゆる明るい映画とは言えず、映像自体も、明るいシーンや屋外のシーンンは少ない。同じ施設の若い男がジャレッドのへやに泊まるシーンなど、ほとんど真っ暗のまま撮影しているのは、そういう意図もあってのことだろう。ただ、もう少し、映像シークエンスとして、何でもないエピソードを映すシーンや、息の抜けるシーンが挿入されたほうが、映画として、ヨリ締まったはずだ。


家庭の問題を扱った作品として、『普通の人々』(1980年)を思い出す、内容とテーマは異なるが、10代の若者の悩める姿を映像化している点で共通する。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。