監督・脚本:橋口亮輔、撮影:戸澤潤一、照明:桜井雅章、編集:松尾浩、録音:臼井勝、音楽:篠崎耕平、磯野晃、村山竜二、主演:袴田吉彦、遠藤雅、1993年、114分、第6回PFF(Pia Film Festival)スカラシップ作品。
原題は「二十歳」でなく「二十才(はたち)」となっている。
都内の大学に通う島森樹(たつる、袴田吉彦)は、夜になると、新宿二丁目の売り専バーでボーイのアルバイトをしている。店の二階にあるボーイのたまり場には数人のボーイが待機している、その中の宮島信一郎(信、遠藤雅)は、密かに、たつるに好意をもっていた。・・・・・・
ゲイでもある監督の橋口亮輔のデビュー作品であるが、映画としては、この次の作品となる『渚のシンドバッド』(1995年)のほうを評価したい。
たつるを中心に、たつるに好意をもつ先輩女子・頼子(片岡礼子)や、信の周辺の仲間や信に好意を寄せる女子らの姿も描いており、大人として登場するのは、頼子の両親や売り専バーの店長や店の客などわずかである。
明らかに、二十歳前後の若者の生態や心の迷いに焦点を当てているのは確かであるが、監督の意図するところがはっきりせず、感情移入もままならず、観終わってからも特に感情が動くこともない。後味がわるいというのではなく、味がしないのである。「ああ、そういう存在感を現わしたかったのか」というだけであって、これでは「ハタチの平熱」だ。
この映画には、映画に不可欠のエンタメ性がない。雰囲気は伝わるにしても、雰囲気を感じ取ればいいというわけでもないだろう。脚本があってカメラがあってロケもしてさまざまな時刻を切り取りながら、ほとんどこれだけの作品しかつくれないのは、ひとえに監督が力量不足だからであろう。この初監督映画をつくるまでに、この監督は、映画を観てきているのか。映画そのものを好きなのか。撮ることが好きなのか。
ドラマの前提となるゲイの少年や売り専を出してきたことも、どんな効果を狙ったのかはっきりせず、意味不明である。
ラストの長回しも、雰囲気のなかで袴田を泣かせるためにとられた手段としかみられず、臨場感を徹底させるという長回しの目的とは別だ。
しかし、なぜか嫌いにはなれない映画だ。
0コメント