映画 『暴走機関車』

監督:アンドレイ・コンチャロフスキー、脚本:ジョルジェ・ミリチェヴィク、ポール・ジンデル、エドワード・バンカー、原案:黒澤明、菊島隆三、小國英雄、撮影:アラン・ヒューム、編集:ヘンリー・リチャードソン、音楽:トレヴァー・ジョーンズ、主演:ジョン・ヴォイト、エリック・ロバーツ、1985年、アメリカ映画、原題:Runaway Train


日本公開は、1986年6月7日で、渋谷・スペイン坂上にある映画館の杮落としとして上映され、当日観に行った。


話は、極寒のアラスカ州にある重犯罪者刑務所から始まる。

何度も脱獄を図った囚人マニー(ジョン・ヴォイト)は、所長のランケン(ジョン・P・ライアン)により、三年間もの間、真っ暗な地下の懲罰房に入れられていた。裁判で負けたランケンは、マニーを普通房に戻さざるを得なかった。マニーはさらに脱獄を実行するべく、囚人仲間から洗濯物係のバック(エリック・ロバーツ)を紹介される。

バックはマニーの脱獄の日、自分も付いていくと言い出す。脱獄に成功した二人は、雪原の中を歩き、ようやく、とある操車場に辿り着く。乗り込む機関車を探すうち、マニーが選んだのは、白い蒸気を立てて雄雄しく構内に入ってきた4重連のディーゼル機関車であった。二人は最後尾の機関車に乗り込み、身を潜めた。

ところが、機関車は走り出すとすぐ、運転士が心臓発作を起こして機関車から転落してしまい、暴走を始めてしまう。最後尾にいる二人は、それとは知らず、とにかく機関車が動き出したことでほっとするが、前方で何か異変があったのではないかと疑い始める。

一方、マニーらの脱獄を知ったランケンは、二人の追跡を始める。・・・・・・


脚本、ムダのない会話、迫力ある映像、効果的な音楽、そのすべてが集結して結晶になった作品で、黒澤明らが原案を書いたことでも有名だ。

ラストにシェイクスピアの言葉が出る。刑務所脱走犯の物語には違いないが、アクションものではなく人間ドラマに仕上がっている。

自由の匂い…、夢なんかあるものか…、獣より始末が悪い、俺たちは人間だ…、あんたを英雄と思っていたのに、ただの人間じゃないか…、など、哲学的なメタファを折り込みながら、機関車は突っ走る。 


この暴走機関車が貨物列車の最後尾にぶつかるシーンは圧倒的迫力で、その衝突により暴走機関車の「顔面」は、高潔な美形から、般若の面に変わる。みごとな演出だ。やたらに衝突や爆発シーンの多い映画がバカに見えてくるほどで、ひとつの衝突に、劇的意味が込められている。

 

ボクシングのシーン、格闘シーン、刑務所仲間との別れ、追想シーン、など、映像としても衝撃的で力がある。仲間割れして、ふと我にかえるところは、みじめであり、残酷でもある。 この脱獄犯二人と機関助手の女は、死に向けて暴走しているのだから。

 

こういう映画を観ると、力を与えられる。主演はジョン・ヴォイトで、悪役面にするため、歯やまぶたにメイクをほどこしている。


心にずーんと響いてくる映画で、映画のすべての要素がぶちこまれた密度の高い作品だ。

この作品は、ぜひもう一度、映画館で見たいものだ。スクリーンで見てこその迫力がこの映画にはある。 


ジョーダン信号所で、線路のポイントを手動で切り替える爺さんが出てくる。いい味出している。刑務所長、鉄道会社の局長、ムショ仲間のジョナなど、脇役陣もベテランで、見応え充分だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。