監督:ジョルジュ・ラコンブ、原作:ピエール・ルネ・ヴォルフ、脚色:ピエール・ヴェリ、撮影:ロジェ・ユベール、音楽:マルセル・ミルーズ、主演:マレーネ・ディートリッヒ、ジャン・ギャバン、1947年(昭和22年)、103分、モノクロ、フランス映画、原題:Martin Roumagnac(マルタン・ルーマニャック、ジャン・ギャバンの役名)、英訳版:THE ROOM UPSTAIRS(二階のへや)
フランスの田舎町で小さな穀物商を営んでいるフェランには、姪のブランシュ(マレーネ・ディートリッヒ)がおり、ブランシュは店の二階で生活していた。店にはブランシュの好みで、小鳥まで売っていた。
ブランシュは、地元の領事との間に結婚話が上がっていたが、領事には病身の妻がおり、その妻が亡くなったら結婚することになっていた。
店の二階は、店と別の出入口があり、今日も妻子ある男がブランシュのへやから出ていくところだ。
ブランシュは退屈を紛らわすためボクシングの観戦に行くが、そこでマルタン(ジャン・ギャバン)と出会う。ブランシュが落としていったブローチを、マルタンが届けることで再会し、二人は恋に落ちる。
マルタンは建築工事屋の現場責任者でもあり、姉とともに生活している。マルタンはやがて自分の敷地に、ブランシュのための別荘まで建て、そこで二人は密会する。
ブランシュには、領事以外にも純粋な思いを寄せる青年などがいたが、それを承知でマルタンは交際を続けるのであった。・・・
昔からタイトルだけは知っていたのだが、ようやく観ることができた。
ジャン・ギャバン、41歳、マレーネ・ディートリッヒ、45歳のときの作品だ。たしかに若い男女の役ではないが、二人は、若々しい男女を演じ切ったている。ディートリッヒが着飾った田舎娘の役を演じるのも珍しい。しかし、いろいろな男に言い寄られる役柄はいつものとおりだ。
冒頭、青年が店を訪れ、螺旋階段からブランシュが下りてくる。ストッキングをつけたディートリッヒの脚から全身が映っていく。このころの映画でもあり裸のシーンはないが、それだけに、キスシーンや会話のシーンなど、カメラアングルやカットなど効果的な演出がなされている。
ストーリーは枝葉を散りばめながら進行し、結局マルタンはブランシュを殺すことになるが、その後、マルタンの裁判となり、姉の計らいなどもあって無罪になる。ラストには、殺した者は殺されるという帳尻を合わせて終わる。
このラストシーンは光と影の演出とともにみごとだが、『望郷』同様、そこまで話すと、これから観る人の関心を削ぐので、やめておこう。
この邦題は、いろいろな理由が考慮されるにせよ、あまりよくない。原題どおり「マルタン・ルーマニャック」のままでよかった。ただそれではインパクトに欠けるので、ちょっと変えればよかっただけだ。
狂恋ものは他にもあり、もっとそれらしい作品もあるので違和感があるが、当時はこれが最高だったのだろう。実際にギャバンとディートリッヒが恋愛関係にあったことも、ひと役買っているかもしれない。
フランス郊外や建築現場、居酒屋、パリのナイトクラブなど、いろいろな背景が舐めるようにカメラに撮られ、見る楽しさを与えてくれるのだが、脚本が欲張りすぎており、まさに狂恋だけを期待していると裏切られてしまう。
この映画はまさしく、マルタンの恋愛経路とその結末を描いているからだ。
後半の4分の1は法定シーンとなり、ディートリッヒは回想でも出てこない。別荘を建てるほど惚れ込んだのだが、それほどの心境になるまでのマルタンの男としての心意気の過程が伝わってこない。
マルタンが仕事をしており、作業員が事故で死んだり、カネに困るなど、仕事をもつ男の面をきちんと描いたがために、かえってブランシュとの恋愛シーンがテキペキと進みすぎ、観客が二人の心情を味わうヒマを奪ってしまっている。
純情な青年の役どころや、ブローチや小鳥などの小道具、無罪となったことを知らせる号外に踊る自由の文字など、細やかな配慮が行き届いているわりに、どんとうったえることがないままに終わってしまった感がある。
充分名の知れたスターを共演させながら、肩透かしを食らう映画であった。同じギャバン主演の恋愛ものであれば、『望郷』(1937年)のほうに軍配が上がる。
『望郷』ラスト近く、ギャン・ギャバンとミレーユ・バランの、パリを思い出す会話シーンがある。あれこそ、映画でしか表現できない恋模様だと思う。
本作を観る方は、是非、『望郷』も観ていただきたいと思う。
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