映画 『人間の條件 完結篇』

監督:小林正樹、脚本:松山善三、小林正樹、稲垣公一、撮影:宮島義勇、編集:浦岡敬一、美術:平高主計、音楽:木下忠司、主演:仲代達矢、1961年、189分、モノクロ。


五味川純平の『人間の條件』(三一新書、1956~58年)を映画化した作品の三作目で、完結編となる。

第一部・純愛篇/第二部・激怒篇(1959年1月15日)、第三部・望郷篇/第四部・戦雲篇(1959年11月20日)につづく第五部・死の脱出篇/第六部・曠野の彷徨篇(1961年1月28日)に当たる。第一部から第六部までは、9時間31分である。

五味川純平は後に、『戦争と人間』(三一新書、1965~82年)を書き、これも山本薩夫監督により日活で映画化(1970~73年、9時間23分)されている。 


ストーリーの舞台は満州帝国であり、ロケは北海道で行われている。

戦闘シーンは、北海道の陸上自衛隊の演習場内で撮影され、拳銃の手入れなどのシーンに使われる小銃などは自衛隊から借り出して撮影されるなど、陸上自衛隊の全面的協力を得て、製作された。


それにしても、『戦争と人間』のようにオールキャストとも言える出演陣であり、懐かしい顔も多い。特に、田中邦衛が自殺するひ弱な二等兵で出てきたり、原泉が軍人ばりの婦長を演じたりと、そういうシーンを見るだけでも楽しい。27歳の岩崎加根子、31歳の岸田今日子、37歳の高峰秀子も見られる。

 

『戦争と人間』はカラーで、伍代家という新興財閥が中心であり、関東軍も幹部中心で描かれ、女優の出番も多く、全体に画面が華やかである。

一方、こちらの『人間の條件』は、白黒で、梶(仲代達矢)という男の生きざまを中心に描かれていく。前半には妻・美千子(新珠三千代)とのやりとりも多く挿入されるが、召集されてからは軍内部や前線が舞台となるので、絵それ自体としては質素でおとなしく感じる。

ただ、こちらは横に広いスクリーンを使っており、セットを使った室内シーンの多い『戦争と人間』に比べ、多くのシーンでカメラが屋外にあり、映画としてのスケール感がある。特に、遠景の描写がすばらしく、繊細且つ大胆な演出が効いている。 


梶が労務の役人として赴任する場所は、鉱山で中国人人夫が働いているところであり、その鉱山をいただく撮り方やフレーム切りがうまい。

屋外セットにしても、膨大な量の丸太が積まれた収容所など、相当の手間と費用がかかっているのがわかる。

密林を抜けるシーンでは、おそらく実際の密林であろうところを俳優たちが歩いていき、敵と遭遇するシーンでも、広大な台地での遠近を捉えるなど、実にリアルで、それだけに、その映像の広がりと深さに呼応するように、梶の心理の深さや正義感が浮き彫りにされる。 


この映画の第一部冒頭は、梶と美千子との会話から始まる。この夫婦のあり方そのものが、当時の時代状況に対するアンチテーゼである。それでも、妻は妻としての言い分があり、順風な時ばかりではなく喧嘩もする。

中国人人夫に対する処遇などで憲兵からも目を付けられ、召集されると、上官からは「アカ」「赤化」などという言葉も聞かれる。梶はそのつど、誠実に前向きに(あるいは進歩的に)生きようとし、判断していこうとするが、そこには常にどうにもならない組織や規律といったものが立ちはだかる。

梶とは、そういう状況でも、自己の考えに誠実に、思い悩みながら生きていこうとする人物である。 


総じて、実に重厚な作品であり、映画作品として高く評価できる。時代は戦争中から戦争末期を描くが、上層部の登場はなく、戦闘シーンは限られており、まさしく、梶という人間の生きざまを、徹底的に追い求めた秀逸な作品だ。

特に、第5部・第6部でこれが顕著である。 


『人間の條件』『戦争と人間』とも、明らかに反戦的映画であるが、年代からして『戦争と人間』では、南京大虐殺などという言葉も出てくる。

本作では、露骨な事実認定や統計などは会話に出てこない。梶の脳裏に常にある「本当にこれでよいのか?」という疑念のみが、物語の源泉となっている。

ある一件で梶が上官に呼ばれ叱責され、さらに梶が口答えするので、上官が「何が不満なのだ?」と尋ねると、梶はようやく「戦争そのものです!」と答え、殴られるシーンがある。おそらく、この会話のシーンは、原作も脚本も監督も、落としたくはなかったところだろう。 


この『人間の條件』は、『戦争と人間』より前の作品でありながら、映画として重厚多彩な作品である。現実的な動きまで描写する最前線の戦闘シーンは、従軍した作者にしか描写できないものだろう。心理的な軋轢や葛藤も、やはり戦地に身を置いた人間だからこそ吐露できるのだろう。

作者はその現実を頭に焼き付け、辛くも生き延びたことを糧として、それを文字に表わした。当然ながらに、こうした小説が生まれるのだろう。 


戦争を云々、アカが云々という前に、映画として優れており、全編を通じてうったえたいことを、ストレートにうったえる力をもっている力強い作品だ。

内容的にも、あたかも日本が悪者である前提となって書かれ、歴史の総復習のような『戦争と人間』より、こちらの作品のほうが、人物描写、風景描写、心理描写において優っている。

戦争映画も、サスペンスやアクションと同じく、映画の一ジャンルである。

映画は映画として観られるべきである。今やプロパガンダ映画などというものはない。

映画は映画として楽しまれ、あるいは、映画として批判されるべきである。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。