映画 『ノックは無用』

監督:ロイ・ウォード・ベイカー、脚本:ダニエル・タラダッシュ、原作:シャーロット・アームストロング、撮影:ルシアン・バラード、編集:ジョージ・A・ギッテンス、音楽:ライオネル・ニューマン、主演:リチャード・ウィドマーク、マリリン・モンロー、1952年、76分、原題:Don't Bother to Knock


ニューヨークのホテルが舞台で、全編が室内劇。

ホテルのバーの歌手として歌うリン・レスリー(アン・バンクロフト)は、宿泊中の恋人ジェド・タワーズ(リチャード・ウィドマーク)との結婚に踏み切れず、一方的に別れ話をもちかけていた。

ジェドはバーに来て、リンとやり直そうと話すが、話がつかず、へやに戻ると、中庭をはさんだ向かいのへやに、ネル・フォーブス(マリリン・モンロー)の姿を見つけ、内線電話で話す。

ネルは、このホテルでエレベーターボーイを勤めている叔父のエディに呼ばれ、ジョーンズ夫妻がホテル内のパーティで不在になる深夜まで、幼い娘バニーのベビーシッターを引き受ける。


バニーを寝かしつけると、ネルはこっそり、夫人のネグリジェをまとい、イヤリングをつけて、悦に入っていた。

そこにジェドからの電話があり、半信半疑ながらも、自分のへやに招き入れる。

ネルの恋人はパイロットであったが事故死しており、そのことにショックを受け、ようやく精神状態が戻ったばかりの時期であった。

しかし、話すうち、ジェドもパイロットであることを知り、ジェドが恋人フィリップだという妄想を描くようになり、異様な行動をとるようになる。・・・・・・


原作は、シャーロット・アームストロングの小説『ノックは無用』で、原題は 「Mischief」(いたずら)である。

モンローが、『ナイアガラ』(1953年)で一躍トップスターになる前年の映画であり、シリアスで難しい役柄を演じた最初で最後の作品である。


モンローはすでに、『アスファルト・ジャングル』『イヴの総て』(いずれも 1950年)などで、スクリーンに強烈な印象を残しており、この作品の後、オー・ヘンリー物語を元にした『人生模様』(1952年)で、名優チャールズ・ロートンと共演し、そこそこの演技を披露しながらも、『ナイアガラ』で悪女ローズを演じ、その容姿やスタイルのほうに、人々の注目が移っていく。


有名になってからも、『帰らざる河』(1954年)、『バス停留所』(1956年)と、演技力のいる役柄をこなしていく一方で、20世紀フォックスの作り上げたセックス・シンボルというイメージと本来の自分との間の軋轢に悩み、精神安定剤の助けを借りるようになってしまう。

遺作となった『荒馬と女』(1961年)は、最後の夫アーサー・ミラーの脚本による哲学的な作品であり、およそ男女のなせる単純な物語ではない。そこでもモンローは精一杯の演技を披露している。


舞台出身のアン・バンクロフトは、この作品が初の映画出演であり、後に『奇跡の人』(1962年)でアカデミー賞を受賞する演技派である。

リチャード・ウィドマークは、すでに悪役俳優として名を馳せており、この作品あたりから、ふつうの男や西部劇などへと演技の幅を広げていく。『拾った女』(1953年)はウィドマーク主演の最高傑作だ。


音楽のライオネル・ニューマンは、モンロー主演の『紳士は金髪がお好き』(1953年)、『帰らざる河』(1954年)でも音楽を担当している。なめらかな即興調の旋律が、内容にマッチしている。

兄のアルフレッド・ニューマンは、多くの映画音楽を生んだ大御所で、モンロー作品では、『イヴの総て』(1950年)『ショウほど素敵な商売はない』(1954年)、『七年目の浮気』 (1955年)、『バス停留所 』(1956年)で音楽を担当している。


この作品は、戦後、アメリカ映画が全盛時代を迎えんとするときの、ジャンル分けの難しい映画であるが、この作品を含め、ややサスペンスタッチの映画が、犯罪映画としてのフィルム・ノワールの枠をはずし、サスペンスというジャンルを確立していく過程で生まれた作品でもある。


概しておもしろい作品とも言えないが、モンローの演技、ホテル内に絞った舞台設定、軽妙な会話は、このころのアメリカ映画の定番であり、ある意味、安心して楽しむことができる。

バニーを寝かしつけたあと、特にすることもなく、夫人の服を勝手に身につけ、たまたま鏡台にあった宝石類を見るうちに、イヤリングをつけ、香水をつけ、口紅をつける。

モンローひとりのパントマイムだが、質素な身なりの娘が、女らしさを取り戻していくようすがほほえましい。そのさなかに、手首の切り傷も映される。


ノックは無用とは、ホテルのへやのノックは無用(=ジェドに入ってきてもらいたい)というよりはむしろ、私(=ネル)の心にジェドが入るのにノックは無用、という意味だろう。

ジェドはこのネルとの一件をリンに話すことにより、リンとジェドは元のさやに納まるのである。

ネルが、バニーを縛ったりしたことで、ロビーのひと隅に追いやられ、カミソリで首を切ろうとするが、ジェドとリンがそれを止め、警官に引き渡される。その際、ネルがひと言つぶやく。

貴方たち(ジェドとリン)は、お互いに愛し合う人たちなのね・・・と。


開店扉に姿を消すネルの姿は、何とも哀れである。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。