映画 『スイート・スイート・ビレッジ』

監督:イジー・メンツェル、脚本:ズデニェク・スヴェラーク、撮影:ヤロミール・ショフル、美術:ズビニェク・フロフ、音楽:イジー・シュスト、編集:イジー・ブロジェック、主演:ヤーノシュ・バーン、マリアン・ラブダ、1985年、103分、カラー、チェコスロバキア映画、原題:Vesničko má středisková(英訳:The village has a resort)


チェコスロバキアの首都プラハから遥か南にある小さな村、クシェチョヴィツェが舞台。そこは広大な農園が広がり、景色もいい。ここの集団農場で、肥料などをトラックで運ぶ運転手パヴェクとその助手オチクを中心に、ストーリーは展開していく。オチクは両親を亡くし、ひとり身のうえ、知的障害がある。だが頭は正常で、優しい性格の持ち主である。俳優でもある脚本のズディニェク・スヴェラークが、村に住みつく放浪画家役で出演している。


季節は春、まだ靄の消えない朝早く、前方からパヴェク(マリアン・ラブダ)が歩いてきて指笛を吹くと、左奥の自宅からオチク(ヤーノシュ・バーン)が出てきてパヴェクに歩調を合わせ、トラックのあるところまで歩く。パヴェクはオチクの保護者がわりのようになっており、オチクと組んですでに5年となる。途中、村の医者、スクルジュニー(ルドルフ・フルシンスキー)の車のエンジンがかからないところに出くわし、パヴェクが直すと、ガタガタ言わせながら車は走って行った。

ある日、パヴェクがトラックをバックさせるため、オチクが手を上げてオーライをするが、オチクがふとよそ見をしている瞬間に、その家の門柱にトラックが当たり、全壊させてしまう。そこは、プラハの住人が別荘として使っている邸宅であった。また、オチクがトラックの荷台に寝そべっていたため、そこにブルドーザーが砂を落とし、危うく大けがをするところであった。ドジを繰り返すそんなオチクの<使えなさ>に、パヴェクはもはや我慢ができなくなり、農場事務所に行き、オチクとのペアを断る申し出、とりあえず、秋の収穫を終わるまではペアを組むことで合意する。オチクは、ペヴァクを憤慨させたことを知り、トラックを磨くなど機嫌をとるが、もはや手遅れであった。ペヴァクがペアを断るとすると、オチクの相手役はトゥレク(ペトル・チェペック)しかいなかった。オチクは、いつも自宅の世話をしにくる叔母(ミラダ・イェシュコヴァー)から、トゥレクはペヴァクのように優しくないよ、と聞いていた。

ちょうどそのころ、プラハの公団から村長宛てに手紙がきて、人手がないのでオチクという助手をほしい、と言ってきた。住まいも新たにできた団地の一室を提供するとのことだった。しかし、村人はみな怪訝な表情を浮かべる。オチクのような者が都会に出ても、満足に日常生活すら送れないだろうからだ。この話には何かワケがありそうだ、と皆が疑った。それでも、当の本人であるオチクは、もうパヴェクの機嫌は直らないものと諦め、村長たちのいる前で、プラハに出るのは自分の意志であると答えるのだった。・・・・・・・


パヴェク役のマリアン・ラブダは、腹の出た肥満体型であり、一方、オチク役のヤーノシュ・バーンは、細身で背が高い。この組み合わせは冒頭から絵になる。これが逆であると、主従関係が露骨過ぎてしまったであろう。


本作品は、ある意味で群像劇である。オチクを中心に、彼にかかわる人々の日常を絡ませて描いている。オチクに直接かかわらないが、間接的にかかわりをもつエピソードが絡むのである。獣医研修生カシュパル(ヤン・ハルトゥル)は、オチクが家にいると、映画のタダ券があるからとオチクを映画館に外出させ、そこにトゥレクの妻ヤナ(リブシェ・シャフラーンコバ)を呼びセックスする。オチクの家の掃除をしていて叔母が見つけた女の髪留めは、ヤナのものであった。ドクトルは元々車の運転が下手で、いつも目に入る風景を詩にして口ずさみながら運転するので、よく単独事故を起こす。そこにいつもパヴェクとオチクの乗るトラックが通りかかって、彼を助ける。パヴェクの息子は、妹の学校の女教師に恋焦がれるが相手にされず、ある日その教師宅を覗くと、少し前に村にやってきた放浪画家(ズデニェク・スヴェラーク)と共にベッドにいるのを目撃し、薬物自殺を図るが、すぐ見つけられ助かる。


本作品を、単にオチクという純粋無垢な青年の物語にせず、そこにいくつものエピソードを絡ませたのは、原タイトルにあるように、村の人々それぞれの心の温かさをこそ描きたかったためだろう。オチクのみならず互いへの思いやりをはじめ、三角関係の滑稽さや深刻さ、村に来た者(放浪画家)から見た村の暮らしなどを描写することで、貧乏であり、不完全でありながら、村人それぞれにその役割をもち、村というコミュニティを構成していることを示したかったのである。人々をこうして温かく見守る姿勢は、『厳重に監視された列車』(1966年)、『つながれたヒバリ』(1969年)にも見られる。


パヴェクが歩いてきて指笛を吹くと、自宅からオチクが出てきてパヴェクに歩調を合わせて歩くシーンは、何度か出てくるが、ラスト近く、プラハの歩道橋を通勤者に混じって歩くオチクの足を止めたのは、そこまで迎えにきたパヴェクの同じ指笛であった。


小さな村、あるいはそれが都会であっても、そこに生きる誰か又は家族を軸として、そこに住む人々のほのぼのとした日常を描き出す作品は、古今東西に存在する。だが、この監督の描く作品は、それらとアプローチが異なっている。そうした多くの作品には、一本筋の通った厳密なストーリー展開があり、台詞にはいかにも人情表出を狙う言葉ややりとり・演技とそれに伴うカメラワークがあるが、メンツェルのつくる作品は、特定のシーンの台詞を除き、ほとんどが人々の他愛ない言葉ややりとりだけで出来上がっている。そこに聖人君子は存在せず、説教や教えを垂れる<神聖な位置>に立つ人間もおらす、したがって、聖人から俗人への、つまり、聖から俗へのヒエラルヒーも存在しないのである。働く人々のごく日常的な<風景>そのものを描き、そこに真剣さや不道徳も投げ込まれているのだ。そして、それらを客観的に外から嘲笑し批判の対象とするのではなく、すべてを互いに受け入れ認めていく寛容さがある。


こうした描写が功を奏するのは、おそらく、「社会主義体制下での映画製作」だからではないか。小さな村という、国家体制からはまだ距離のある場所において、そこにいる人々の営みから多少とも発信される体制への批判が、ストーリー展開においてちょうどよい隠し味になり、作品の出来に貢献しているからだろうと思われる。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。