映画 『千の顔を持つ男』

監督:ジョセフ・ペブニー、脚本:R・ライト・キャンベル、アイバン・ゴッフ、ベン・ロバーツ、原作:ラルフ・ウィールライト、撮影:ラッセル・メッティ、音楽:ジョセフ・ガーシェンソン、作曲:フランク・スキナ、主演:ジェームズ・キャグニー、ドロシー・マローン、ジェーン・グリア、1957年、122分、配給:ユニヴァーサル、原題:Man of a thousand Faces


無声映画時代、主に怪奇映画スターとして知られる、ロン・チェイニーの伝記映画。ロン・チェイニーの47年の生涯を、ほぼ忠実に再現している。Man of a thousand Faces とは、ロンのニックネームであり、作品中の台詞にも出てくる。


ロン・チェイニー(ジェームズ・キャグニー)の両親は聾啞者であり、ロンは小さいころから両親と手話で会話し、いつのまにかパントマイムもうまくなった。それを活かし、長じて舞台でコメディアンとして活躍する。同じ劇場で活躍していたコーラル・ガールのクレヴァ(ドロシー・マローン)と結婚することとなり、クレヴァを実家に連れて行く。クレヴァはすでに身重だったが、両親が聾唖者であったこをと知らされていなかったクレヴァは驚くとともに落胆し、生まれてくる子供が聾唖であったらどうしようかと気を揉む。生まれてきた子は聾唖ではなかったが、自らも歌手として独立するとして、クレヴァは息子のクレイトンの面倒を見なかった。こうした態度に愛想を尽かし、ロンはクレヴァを家に寄せつけないようにする。幼いクレイトンの面倒をみるのは、同じくコーラス・ガールに一員であったヘイゼル(ジェーン・グリア)であった。・・・・・・


映画は冒頭、ロンへの賛辞から始まる。1930年8月27日、ロンの死去した翌日、彼の活躍した劇場の外壁に、ロンを讃える記念の銅板が掲げられた。ロンの死去までプロデューサーとして一緒に仕事をしてきたアービング(ロバート・J・エヴァンス)がその劇場の舞台に立ち、役者としてのロンに賛辞を贈る。ロンの子供時代の挿話になったところで、そのまま当時のロンの生活ぶりに移り、本編が始まる。


ギャングスターとして鳴らしたジェームズ・キャグニーだが、何でも演じられる俳優として、彼ほど打ってつけのキャスティングはなかっただろう。それにしても、ロン・チェイニーの生涯を演ずるとなれば責任重大であったはずだ。しかしその多彩な演技力はみごとだ。


舞台裏や映画撮影の「舞台裏」を観ることもできると同時に、キャグニーのみごとなメイクや演技を堪能することができる。キャグニーは、クレヴァとの別れやヘイゼルとの生活、そして何より、成長していくクレイトンに対する父親としての対応ぶりなどもみごとに演じている。 

この4年後、キャグニーは、ビリー・ワイルダー監督の『ワン、ツー、スリー』(1961年)に出演することになる。


この頃のアメリカ映画は、ストーリー展開にせよ、カメラワークにせよ、俳優たちの服装や演技にせよ、ある種の<清潔感>のようなものがあった。そうした作品を今また観られて、こんなに嬉しいことはない。


なお、ロバート・J・エヴァンスは、本人としてこの映画に出ており、その後、プロデューサーとなり、『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)や『ゴッドファーザー』(1972年)、『チャイナタウン』(1974年)などを製作することになる。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。