監督:リチャード・ブルックス、脚本・製作:パンドロ・S・バーマン、原作:エヴァン・ハンター、撮影:ラッセル・ハーラン、編集:フェリス・ウェブスター、音楽:チャールズ・ウォルコット、主演:グレン・フォード、1955年、101分、モノクロ、配給:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー、原題:Blackboard Jungle
リチャード・ダディエ(グレン・フォード)は、ニューヨークのとある高校に、国語(English)の教師として着任するが、そこは不良の巣窟のような学校で、教師全員が教育の進め方にほとほと手を焼いていた。ダディエの受け持つクラスも、英語がまともに話せないような不良の集団であり、グレゴリー・ミラー(シドニー・ポワチエ)と、アーティー・ウェスト(ヴィック・モロー)という二人の生徒がボス的な存在であった。まだマシなほうの生徒であるミラーをクラスのリーダーとすることで、クラスをまとめようとするが、女性教師が校舎内で襲われた件で、ダディエが犯人の生徒を殴って取り押さえたことで、ダディエはクラス全員の総スカンを喰らう。しかし、海軍軍人であり学校教育には未熟なところもあったとして、初心に戻り、ダディエは、音声記録装置(テープレコーダー)などを使った授業を試みていく。次第に、ミラーはダディエに協力的になるが、ウェストはいつまでも反抗的であった。・・・・・・
有名な「ロック・アラウンド・ザ・クロック」とともにオープニングとなり、黒板に模した枠の中に、スタッフ名などが現われる。
監督は、後に、『カラマゾフの兄弟』(1957年)、『熱いトタン屋根の猫』(1958年)、『冷血』(1967年)などを撮るリチャード・ブルックス、ヴィック・モローは映画初出演、先日逝去したシドニー・ポワチエを一躍有名にした作品だ。
グレン・フォードは『ギルダ』(1946年)のイメージが強いが、その後、本作品や、先だってレヴューした『誘拐』(1956年)など正義感の強い正統派アメリカ男子を演じていくことになる。
戦後米国の典型的な不良生徒と誠実な元軍人である新任教師との格闘のようすを描いた作品だ。いわゆる学校ものに特化したアメリカ映画としては異例の作品だが、ここに人種問題、戦後アメリカの教育問題、教育設備・教育機器・教育の機会均等などの課題が散りばめられている。校長は唯我独尊であり、校長室の隣にある事務室の事務員なども、文字通り実に事務的だ。
国語の教師とは、アメリカでは英語の教師ということになるが、ダディエが黒板に書く誤った英文を、生徒は誰一人正しく直すことができない。その程度のクラスで、しかも不良の集まるクラスを、どう立て直し運営していくか、クラスの担任としては腕の見せ所でもあるが、教育や教材にかかわる細やかな工夫や生徒一人ひとりとの対応にはあまり時間を割かず、一度流産を経験しているダディエ夫婦にもうすぐまた赤ん坊が生まれるが今度も無事に生まれるとは限らない、といったプライベートな話や、同僚への生徒の暴力を絡ませるなど、側面からダディエの心情の変化や決意のほどを表していく。
これが101分ほどの映画なのかと思うほど、あっという間に終盤を迎える。ほとんどが教室内での出来事であるにもかかわらず、観る側を飽きさせずに引っ張っていく牽引力はみごとだ。ドラマの起きるシーンは限られ、予算をさほど割かなくとも、実(じつ)のある映画は成立するという証明のような映画だ。ただ、テーマが絞られているだけに、こうしたテーマに関心がなければ、上出来の教科書のようなつまらない作品、と映ってしまうのだろう。
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