映画 『ギルダ』

監督:チャールズ・ヴィダー、脚本:マリオン・パーソネット、原作:E・A・エリントン、撮影:ルドルフ・マテ、編集:チャールズ・ネルソン、音楽:モリス・W・ストロフ、主演:リタ・ヘイワース、グレン・フォード、1946年、110分、モノクロ、原題:Gilda


大戦末期のアルゼンチン、ブエノスアイレスの、とある街が舞台。

アメリカからやってきたジョニー(グレン・フォード)は、サイコロを使ったいかさま賭博で儲けていたが、ある賭場で、その経営者マンドソンにいかさまを見破られる。

しかし、自分の経営する店もいかさま賭博をしており、何かと役に立つと踏んだマンドソンは、ジョニーを雇う。

ある日、マンドソンが結婚し、ジョニーに妻を引き合わせたが、その女こそ、かつてジョニーが過去に愛した女、ギルダ(リタ・ヘイワース)であった。・・・・・・


脚本が綿密に書かれており、単純な再会ドラマに終わっていない。

カメラもよく動き、白黒ならではの陰翳が充分に効果的だ。

室内シーンが多いので、会話が多いが、言葉は丁寧に書かれていて、ストーリーに品格をもたらしている。


『ショーシャンクの空に』(1994年)にギルダの登場シーンがあるが、まさにあのシーンは、その映画に最初に登場する女優のシーンとして印象的な演出である。

終盤、ギルダが踊るシーンで、黒い手袋を少しずつとっていくシーンは、性的魅力をふりまくシーンとしても有名だ。


リタ・ヘイワースは胸が大きいわけでもないが、細身のすらりとした肢体が魅力的な女優だ。だから、ドレスがよく似合う。

まさに、リタ・ヘイワースのための映画といった感じだが、いわゆるセックスシンボルというだけに留まらず、表情の演技からダンスのシーンまで、全身での完璧な演技はすばらしい。

カメラも、女優を撮るからと、正面や後ろ姿のみならず、斜め上からや、寝ていて少し上げた顔を横から撮るなど、全身を美しく撮ることを忘れず実行している。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。