映画 『キャラクター』

監督:永井聡、脚本:長崎尚志、川原杏奈、永井聡、原案:長崎尚志、製作:村瀬健、唯野友歩、撮影:近藤哲也、編集:二宮卓、音楽:小島裕規 “Yaffle” 、主演:菅田将暉、Fukase(SEKAI NO OWARI)、2021年、127分、PG12指定、配給:東宝。


売れっ子の漫画家のアシスタントである山城圭吾(菅田将暉)は、独り立ちするため、最後のチャンスと思い、必死に作品を仕上げて出版社に持ち込むが、断られてしまった。スリラーやホラー系をめざすにしては、キャラクター描写が弱い、という理由であった。決心していたとおり、今日で退職するという日、依頼され、それらしい雰囲気のある邸宅をスケッチしに出る。ある豪邸を見つけ、それを遠くからスケッチしていたが、大音響でオペラのアリアが流れ続け、隣の住人から注意してくれと言われ、おそるおそる中に入ると、ダイニングで家族四人が惨殺されているのを発見する。四人は椅子にロープで縛りつけられ、辺りは血まみれになっていた。腰を抜かした山城は、カーテンの向こうに、犯人らしき男、両角(もろずみ、Fukase)の姿を認めるが、警察の事情聴取の際、犯人を見かけたことを否定する。・・・・・・


映画「キャラクター」製作委員会は、フジテレビジョン、東宝の二法人で、即ちカネは潤沢だから思い切って撮りましょう、という生まれの映画であることに違いない。多数のエキストラへの人件費、転落した車やその引き上げ作業、空撮、ドローン撮影、高級マンションの室内、それに膨大な量の漫画と写真など、大資本が出資しなければできなかった作品だろう。


それぞれの俳優陣の演技がうまく、子役として親しんできた松田洋治の顔を見られたのもうれしい。漫画家が主役なので、漫画家の仕事場や仕事ぶり、仕事道具が見られるシーンもあり、美術担当は大変だったろうが、楽しませてもらえた。菅田将暉は相変わらず役に成り切っており、しがない漫画家から売れっ子になった後のものの言い方など、うまく演じ分けている。


さらに、前半は、家族四人が殺害された後のようすが描写されるが、後半では殺害シーンそのものが多くなり、PG12指定も納得できる。同じような殺害シーンに見えても、かなりリアルに撮っており、特にラストでは、犯人の狂気、山城の覚悟を、言語の代わりに刃物で表わしたと言ってもいいくらいだ。


さて、これほどゴージャスなつくりで手間ひまかけて作られ、出だしの掴みもいいのにかかわらず、どこか手落ち感を覚えるのはなぜだろう。窮極のところ、脚本に骨がない、ということに原因がある。

それぞれのシーンごとの台詞・カメラ・演技・演出は申し分ないと思うのだが、全体のストーリーを見渡したときに、小さくまとまり過ぎて、贅沢なつくりやセット、俳優の演技に対し、見劣りするのだ。つまり、ストーリーと絵のバランスが悪いのである。ちょうど、『言の葉の庭』以降の新海誠のアニメのようだ。


両角の出生にかかわる話を出すのであれば、そのへんの歴史的背景や、彼がなぜこうなったのかの説明や回想があれば、いっそう肉厚なドラマ展開になったところを、刑事らの台詞での想像だけで片付けてしまっている。両角が山城の描く漫画どおりに殺しをおこなうにしても、なぜそうするのかは語られないままであり、その前提ともなりうる、両角と山城の出会い方も、いくら作り話とはいえ唐突すぎる。両角が山城を利用したのかその逆なのかも不鮮明なままだ。


山城は途中から、刑事側の立場に付き、それは一般市民としては当然であるのだが、両角との関係からして、もっと他の展開も考えられたのではないか。終盤では、両角は自分の描いた漫画どおりに殺人を実行する、とのことから、自らの家族を襲わせて事件を終結させようとするが、確実にそのとおりに両角が動く保証はあるのか、山城の実家にいる四人ではなく、山城の妻・夏美(高畑充希)の懐胎した双子を含め四人家族となるからと、山城の現在住むマンションに乗り込むあたりは、山城の描いたものと違っているはずだが、といった疑問も残る。辺見敦(松田洋治)と両角の関係もはっきりしない。

曖昧さを残し、観る側に委ねる方式をとるには、それなりの熟練度がないと、軽々しい作品に終わってしまう。


刑事たちの活躍は、本作品の<山城-両角>に対するもう一本の軸だ。真壁(中村獅童)や清田(せいだ、小栗旬)の登場シーンは多いにもかかわらず、<警察ー山城>、<警察-両角>の線ばかりが強調されるので、<警察-異様な事件>といった背骨が消え去ってしまっている。


サスペンスものであれ刑事ものであれ、詳細については観る側に知らしめたうえで、大きな山場に運ぶのが映画の基本だろう。せっかくカネをかけた2時間を超える映画は、テレビサイズの2時間サスペンスに終わってしまった。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。