監督:ジェリー・ジェームソン、脚本:ウィリアム・ダグラス・ランスフォード、製作:リチャード・カフェイ、撮影:マシュー・F・レオネッティ、音楽:ドン・エリス、主演:カート・ラッセル、1975年、100分、原題:The Deadly Tower
1966年にテキサス大学で起きたテキサスタワー乱射事件を題材としている。
1966年8月1日(月)夜明け前、元海兵隊の伍長であったチャールズ・ホイットマン(カート・ラッセル)は、母の家を訪ね、応対に出た母を抱き締めたあと、無言で刺殺する。帰宅すると、同棲していた若妻も殺害する。その後、銃砲店で、多量の弾倉や弾薬を買い、車で大学まで行き、その後エレベーターでタワーに昇る。最上階で下りると、ここは許可がなければ立入禁止だと婦人に言われるが、その婦人をエレベーターに押し込み、去らせた。一人になったチャールズは、さらに階段を昇り、展望デッキに出て、射撃の用意を始めた。その後、遥かかなた下のキャンパスを歩く人々めがけ、銃を乱射し始めた。・・・・・・
後に、1999年4月20日発生のコロンバイン高校銃乱射事件をモチーフにした『エレファント』(2003年)も製作されるなど、こうした惨劇はよく映画のモチーフにされるが、『エレファント』とは異なり、いかにも1975年当時の製作姿勢が現われているとも言えよう。というのは、犯人チャールズ・ホイットマンと、警察の中で最後にタワーに昇り、チャールズを射殺することになる若い警官ラミロ・マルティネス(リチャード・イニグェス)を、初めから最後まで、二つの軸として交互に描いていることである。
二人は出会う、といった解説が、映画冒頭に流れるので、そうした目で見てしまうのであるが、むしろ親切な導入と言える。チャールズの夜明け前からの異常な行動、ラミロの警察部内でのようすが、交互に流される。孤独なチャールズとは逆に、ラミロは、昇進試験に落ちたが、同僚に馴染み、周囲からは良き仲間としてとらえられている。妻は二人めの子を宿している。
淡々とこれらを交互に描くのみなので、前半はやや退屈であるが、そのためにも、冒頭の解説があったのだろう。いずれどこかで二人は会う、どうやってどこで会うのか、想像はつくが、そのとおりに、二人の物理的距離は縮んでいく。銃撃戦は40分以上にわたり、警察はもたつきながらも、いろいろ手を打っていく。
緊迫感というより、現実に高度からの銃乱射のようすを再現した映画で、不謹慎だが、そのプロセスを見る映画だ。そこにまら本作品のエンタメ性なるものもある。ラミロと、警官でないもう一人の男が銃をもち、ようやく扉を開けて、犯人を射殺するまでが圧巻となる。ラミロの顔のアップや、非番の日なのに自ら現場に出向いたラミロを心配する妻のようすも、同時進行でとらえている。そして、ラストは、遠くにタワーを含み、ラミロ夫婦が抱き合うところでストップモーションとなる。
これだけの事件を起こすチャールズの動機については、実際の事件でもそうであったように、遺書などで後からわかることであり、本編でもあまり触れられていない。この現場、この事件そのものを描写したかったのだろう。
乱射の合間に、チャールズがパンを食べるシーンがある。その包み紙を、少し離れたゴミ箱に捨てに行く。ほんの一瞬のシーンなのだが、このあたり、彼の几帳面な性格を表しているが、動機が不明な進行形の映画では、もう少しこうしたキャラクター描写があってもよかった。
カート・ラッセルといえば、まず『遊星からの物体X』(1982年)のマクレディを思い出す。 その後、『バックドラフト』(1991年)、『不法侵入』(1992年)などで人気を得ることになる。
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