映画 『パフューム ある人殺しの物語』

監督:トム・ティクヴァ、脚本:トム・ティクヴァ、アンドリュー・バーキン、ベルント・アイヒンガー、原作:パトリック・ジュースキント『香水 ある人殺しの物語』、撮影:フランク・グリーベ、編集:アレクサンダー・ベルナー、音楽:トム・ティクヴァ、ジョニー・クリメック、ラインホルト・ハイル、主演:ベン・ウィショー、2006年、147分、ドイツ・フランス・スペイン合作、英語、PG-12指定、原題:Perfume:The Story of a Murderer


18世紀のパリ。魚市場は、魚やその臓物のにおいで悪臭漂っていた。そんななか、一人の男の赤ん坊が路上に産み落とされた。やがてその子は孤児院に入れられ、ジャン=バティスト・グルヌイユと名付けられた。この子は、相当離れた場所の匂いも嗅ぎ取れるという超人的な嗅覚をもっていた。ある日、孤児院はグルヌイユを、奴隷として売った。ジャン=バティスト・グルヌイユ(ベン・ウィショー)は肉体労働に従事するある日、遠くから漂う魅力的な匂いを追いかけると、籠に果物を入れて売る少女であった。その少女を追いかけ、顔を近づけようとするが拒否され、思わず殺してしまう。殺したあとセックスするでもなく、その少女の裸体の匂いを嗅ぎまくるのであった。

ある通りで、グルヌイユは、香水を売っている店に出会う。店で香水を作っているのは、ジュゼッペ・バルディーニ(ダスティン・ホフマン)という男であった。地下の調合室に行くと、今はやりのある香水なら自分も簡単に作れる、とグルヌイユが言うので、バルディーニはしぶしぶ作らせてみた。驚いたことに、ほんの数分で、グルヌイユははやりの香水を全く同じものを作ってしまった。グルヌイユはさらに新種の香水を次々と作った。バルディーニはその能力を見込み、グルヌイユを奴隷商人から買い受け、自分の弟子とした。この香水店は、経営が傾きかけていたが、グルヌイユが次々につくる新商品によって、また商売は繁盛していった。

ある晩、バルディーニは、香水の極意をグルヌイユに伝える。12本の基本的な素材以外に、13番目の素材があることで完璧になるというのだが、バルディーニ自身にもその13番目の素材は思いつかないまままであった。グルヌイユは、その13番目の素材が、かつての経験から、女体の匂いであることを直感する。・・・・・・


開始からラストまで、グルヌイユの生涯を描いていく。単調になるかと思ったが、次々に新たな情報や状況が提示され、カメラもよく動き、飽きずに観ることができた。ただ、ラスト近く、広場でグルヌイユが処刑されると思いきや、その放った香りによって、そこに集まった民衆がみな、催眠術にかけられたようにおかしくなり、踊り狂ったり抱き合ったりするシーンは、意外というより、シリアス一辺倒できたストーリーに水をさすだけの効果しかない。


バルディーニ自身は事故で死んでしまい、開始1時間からは、新たな土地グラースでのグルヌイユの生きざまに移る。そしてこの地で、血なまぐさい事件が続発するのだ。グルヌイユは、13番目の素材を作るため、いたるところで若い女性を殺害し、特殊な方法でそのからだの匂いを「削ぎ取って」いくのであった。それがバレて死刑になるのである。


調香に夢中になるあまり、女性を殺害しつづけた男の物語というわけだ。18世紀をあらわすようなごみごみした市場や、人々の貧相な服装、調香のための多数の瓶類など、画面上で楽しませてくれる。グラースでの地下の調合室も、大がかりなセットや物珍しい器具類が用意され、観る側としては楽しい。

グラースはパリと逆で、王侯士族がおり、華やかな宴のシーンなどもある。そのなかで最も身分の高い家の娘が、犠牲者としては最後の女性になる。映画冒頭で、牢獄から引きずり出され、民衆の前に連れて行かれるグルヌイユの姿は、ラストの公開処刑のシーンにつながっている。


主役のベン・ウィショーは、このグルヌイユという男の生きざまを描くにふさわしい容貌と体格で、グルヌイユ役を間違えると、かなり違ったイメージの映画になっていたことだろう。ダスティン・ホフマンの化粧した顔は、どこか滑稽であった。


このストーリーは、言ってみれば、狂人あるいは変態の短い生涯を描いた作品だ。まともに教育も受けず、感覚だけで生きざるを得ない男の子が、その感覚のうち、嗅覚に突出した才能をもったことで生まれた悲劇なのだ。このテーマ設定自体はおもしろく、時代を現在に置き換えなかった脚本もよかった。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。