映画 『スリー・ビルボード』

監督・脚本:マーティン・マクドナー、製作:グレアム・ブロードベント、ピート・チャーニン、マーティン・マクドナー、撮影:ベン・デイヴィス、編集:ジョン・グレゴリー、音楽:カーター・バーウェル、主演:フランシス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソン、2017年、115分、米英合作、原題: Three Billboards Outside Ebbing, Missouri(ミズーリ州エビング郊外の三枚の広告看板)


舞台は、架空の田舎町、ミズーリ州エビング。この町には、いまだに黒人差別、同性愛者差別が残っていた。そんな町の一本道、車を走らせていたミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)は、大きな三枚の広告板(ビルボード)が並んでいるのに気づく。その看板を管理している事務所に赴き、三枚の看板にそれぞれ、「娘はレイプされて焼き殺された」「未だに犯人が捕まらない」「どうして、ウィロビー署長?」というメッセージを貼りだした。

これに気付いたジェイソン・ディクソン巡査(サム・ロックウェル)は、ビル・ウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)に伝える。・・・・・・


ミルドレッドの娘アンジェラは、七ヵ月前に、その付近で、レイプされた後に焼かれて殺害されていた。だが、手がかりもなく、捜査は進んでいなかった。業を煮やしていたところ、この空き看板を見つけたので、半ば警察への抗議の意味を込めてメッセージを貼り出したのである。

ミルドレッドには、被害者として多くの住民が同情を寄せていたが、この看板の件には、やり過ぎだという評判が立った。


終盤、犯人らしき男が現われるが、犯人ではなかった。犯人そのものは、結局見つからないまま、映画は終わる。本作品には、登場人物が多いが、それぞれがストーリー上、何らかの役割を担っており、絡みそうな糸を絡まないように仕上げた脚本がすばらしい。

看板で名指しされたエビング警察署長のウィロビーは、膵臓癌に冒されており、妻アン(アビー・コーニッシュ)と二人の娘がいながら、ミルドレッドに手紙を残し、自害する。犯人を逮捕できない責任をとったわけではない。また、ディクソンは同性愛者であり、いまだ独身で、偏見をもつ年老いた母親と同居しており、粗暴な一面がある。

ミルドレッドは息子ロビー(ルーカス・ヘッジズ)と生活しており、小さな町であり、別れた夫チャーリー(ジョン・ホークス)ともたまに遇うが、夫は今、19歳の小娘と付き合っている。その他、ミルドレッドが勤めるみやげ物屋の同僚、現場で看板を作る黒人の青年ジェローム(ダレル・ブリット=ギブソン)、ディクソンの同僚のくせのある警察官、看板会社の若い経営者レッド・ウェルビー(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)、ミルドレッドに淡い思いを抱く小人の男ジェームズ(ピーター・ディンクレイジ)など、台詞があるだけの出演ではなく、その台詞をその人物が発することにより、ストーリー上、その役割を果たしていくようなキャラクターの位置づけができている。


通常なら、レイプ事件そのものを最初に置き、事件、葬儀、家族の落胆、捜査、警察への不信へと進めていくところだろうが、本作品では、事件そのものは割愛され、看板を設置したとき、マスメディアの取材に対し答えるシーンで、かろうじてミルドレッドが話すだけである。

冒頭、ミルドレッドが訪れたレッド・ウェルビーの事務所が、エビング警察署の真ん前にあることがわかる。この設定への観客の誘導で、ミルドレッドと警察の対峙を初めから明確にしていることがわかる。


田舎町が舞台ということもあり、カメラはのどかな風景を撮りながら、田舎に特有の偏見や暴力が潜んでいることをも、しっかり表現している。

ラストでは、犯人らしき男は、鑑定の結果、犯人でないことがわかるが、その男が他の女をレイプしていることに変わりないとして、ミルドレッドは、ディクソンともに、その男の住む場所へと、車を走らせる。これも、通常なら、犯人が捕まって終わりとなるところだが、本作品ではそうせず、ミルドレッドとディクソンに、怒りが共有され、その怒りは、同じ方向へ向かうものとして終わるのである。ディクソンも、死去したウィロビーから手紙を受け取っており、激励と反省を促す署長の言葉により、少しずつ人間性が変化し、犯人らしき男を追い詰めることになる。その延長で、ミルドレッドとも、心を通わせていくようになる展開もよい。


看板が燃え落ちるシーン、ミルドレッドがジェームズと食事するシーン、そこで元夫チャーリーと出くわすシーン、ディクソンがレッド・ウェルビーと格闘するアクションシーンなど、映画としての見せ場にも配慮が行き届いている。これらのシーンそのものが、シーンだけでなく、作品上の演出効果をもっていることにも注目したい。


レイプ事件の詳細は描写されないまま、その七ヵ月後の時点から始まる映画として、ミルドレッド役のフランシス・マクドーマンドには、それなりの演技力が要された。結果として、彼女は本作品で、アカデミー主演女優賞を受賞した。


監督が脚本を兼ねると、すばらしい映画か駄作かに、はっきりと分かれる。これは秀逸な作品となった成功例だ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。