監督:野村芳太郎、原作:松本清張、脚本:橋本忍・山田洋次、撮影:川又昻、編集:浜村義康、音楽:芥川也寸志、美術:宇野耕司、照明:佐藤勇、録音:栗田周十郎、主演:久我美子、高千穂ひづる、有馬稲子、1961年、95分、モノクロ、松竹。
ラストをはじめ、何度か挿入されるヤセの断崖(石川県羽咋郡志賀町笹波にある断崖絶壁)のシーンが出てくることで、この断崖を全国的に知らしめた作品。
板根禎子(久我美子)は、広告代理店に勤める鵜原憲一(南原宏治)と見合い結婚した。新婚旅行を終えた10日後、憲一は、仕事の引継ぎのため金沢へ行くことになり、禎子も駅まで見送りに立った。その後、予定を過ぎても帰京せず、何の連絡もなく、禎子が不審に思っていたところ、勤務先から、憲一が北陸で行方不明になったと聞かされる。禎子は金沢に向かうことになる。
禎子は、憲一の後任、本多(穂積隆信)の協力を得て憲一の行方を追うが、その過程で禎子は、憲一の隠された過去を知ることになる。それらは、禎子の知らぬことばかりであった。憲一は、月のうち二十日ほどは金沢、十日ほどを東京の本社に勤めるという勤務形態であった。
禎子は、憲一が仕事上の取引先として親しくしていた室田儀作(加藤嘉)・佐知子(高千穂ひづる)夫妻の邸宅を訪れる。・・・・・・
戦後10数年という時代背景であり、男女の結婚は、まだ、見合い結婚と恋愛結婚の比率が五分五分であったころの話である。
冒頭から、挿入されるかたちで、禎子と憲一のなれそめが描かれ、開始わずか10分で、禎子が行方知れずの憲一を金沢に探しに出かける、という展開になる。映画の半ば、54分を境に、一年後に時が飛び、禎子が真相を突き止め、禎子が再度能登に行き、室田夫婦を誘ってヤセの断崖の上に立ち、禎子と佐知子が真相を巡って会話するシーンになる。そこで、ことの真相が回想とともに禎子の口から語られ、その後、その一部を、真犯人、佐知子が、やはり回想シーンを交えながら修正して真実を語る、という展開となり、ラストを迎える。
初めに禎子が室田の会社を訪れたとき、受付でアメリカ人と英語で話しているのは、田沼久子(有馬稲子)であった。この久子は、憲一が禎子と結婚するよりずっと前から親しく、一時期は夫婦同然の生活もしていたのである。憲一は過去に、立川警察署で風紀係の警察官をしていたことがあり、米軍基地があった場所柄、多くのパンパンを取り締まっていた。そのとき知り合ったのが久子であり、佐知子もそうだったのである。その佐知子は、後妻とはいえ、今や金沢の大会社の社長夫人に収まり、元売春仲間としての誼で、生活苦の久子を受付に採用したのであった。終盤、橋の上での佐知子と久子の会話では、互いに、久子は佐知子をエミと呼び、佐知子は久子をサリと呼んでいる。パンパン時代の互いの呼び名である。
佐知子は久子以上に、自らの過去を他人に知られることを恐れていた。この一点こそ、佐知子が、憲一やその兄・宗太郎(西村晃)を殺害する理由となっている。佐知子や久子にとって、誰にも知られたくない過去を封印しておくことこそ、女としてのゼロの焦点なのである。
戦後間もなく、見合い結婚がまだ多かったころの時代、米兵相手の娼婦であったことを絶対に知られたくない女心、青酸カリが手に入った時代、荒涼とした日本海の風景、死体も上がらぬとされる断崖絶壁、これらの諸要素が結実したのが、本作品であると言えよう。
三人の女優の何気ない目線や態度で、この女はもしかして……と思わせるなど、サスペンスでありながら、女優の細やかな演技を堪能できる映画でもある。他に、宗太郎の妻役で沢村貞子、禎子の母役で高橋とよ、立川のパンスケの元締めだった老女役で桜むつ子の顔を見られつのもうれしい。
カメラワークに特殊なものはなく、ヤセの断崖など外を撮るときは横に広く、禎子が何かを察するなど重要シーンではバストショットを用いる程度である。白黒による光と影は当然ながらうまく活かされ、テンポの速めな作品にふさわしい編集がなされている。
ストーリー展開とカメラワーク、俳優の演技に、無駄のない作品となっている。
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