映画 『暗殺指令』

監督:エンツォ・プロベンツァーレ、脚本:ジュゼッペ・マンジョーネ、エリオ・ペトリ、アルマンド・クリスピーノ、エンツォ・プロベンツァーレ、撮影:ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ、音楽:ジーノ・マリヌッツィ、主演:クラウディア・カルディナーレ、レナート・サルヴァトーリ、1960年、100分、モノクロ、イタリア映画、原題:Vento del Sud(南風)


イタリア・シチリア島が舞台。

シチリアでは、マフィアが依然として勢力をもっていた。アントニオ(レナート・サルヴァトーリ)は、亡き父親がマフィアにかかわりをもっていた絡みで、離島に住むニカストロという侯爵(アンニバレ・ニンキ)を、習慣となっている夜の散歩のとき殺すよう命令される。初め断ったアントニオも、多額の現金と引き換えに、しぶしぶこれを引き受ける。

侯爵には二人の娘がいたが、姉妹はいろいろないきさつで仲が悪かた。妹のグラツィア(クラウディア・カルディナーレ)は常々、厳格な父親と自分に辛く当たる姉の下から解放されたいと思っていた。

アントニオは散歩に出てきた侯爵を狙うが、恐ろしさのあまり実行できなかった。アントニオが、そのへんに泊めてあったボートですぐ現場を立ち去ろうとすると、その舟では無理だ、と女の声がした。古い風車の下でひとり海岸を見つめているグラツィアであった。

翌朝、グラツィアはアントニオのそばに来て、私も連れて行ってくれ、と頼む。ここに来た理由を言えぬまま、アントニオはグラツィアを乗せ、舟を漕ぎ出した。・・・・・・


アントニオは、殺人の依頼者たちに、もし、命令に背いた場合は、ずっと監視されると脅されていたが、実際そうなってしまった。彼がどこに行くにも、必ず、マフィアの車が追いかけてきていた。アントニオとグラツィアは、次第に好意をもち、男と女の愛を芽生えさせていく。グラツィアは正直に、自分が家を出る理由やそれまでの気持ちをアントニオに打ち明けるが、アントニオは、自分がマフィアに追われていることをグラツィアには話せないでいた。

終盤、ようやく気持ちが通じ合い、パレルモのホテルで体の関係をもった二人であったが、グラツィアがシャワーを浴びているときにマフィアから電話があり、すぐそこを出ないと、女の命はない、と脅される。グラツィアがシャワーから出てくると、アントニオが着替えをしているので不審に思い、問い詰めると、アントニオは、本当は君を愛してなどいない、と嘘をつく。アントニオは、グラツィアの身の上と彼女の今後のために、嘘をついたのだが、グラツィアはそれを真に受けてしまう。

それぞれの親類同士が連絡を取り合い、二人の居場所を突き止め、姉に連れられてホテルを出ようとするとき、グラツィアは、手摺を乗り越え、螺旋階段の真下へ身を投げ、死んでしまう。マフィアを撒いてホテル近くに戻ったアントニオは、人だかりがしているので野次馬に聞いてみると、若い女が投身自殺したとのことだった。

広場に歩いていくと、マフィアが待ち構えており、アントニオは、お前たちがグラツィアを殺したんだ、とマフィアを罵るが、突然撃たれて、その場で死んでしまう。


内容としては、偶然知り合った男女が恋仲になりながらも、相手を思うからこその嘘をつき、父や姉、恋人にまで裏切られたとして自殺する若い女と、マフィアに振り回され、結局は命を落とす若い男の物語で、まことに救いようのない話である。男女が中心であるが、ところどころに挿入されるエピソードにより、二人の親類筋は実はみな連絡を取り合っており、しかも大事なのは、自分たちの高名だけなのである。若き男女は、マフィア社会と名誉を重んじる社会から、葬り去られたようなものである。

こうした悲劇を、丁寧に用意周到に捉えたのが本作で、悲劇だからといって涙が出るほうに行かないのは、映画のつくり自体が、骨太だからなのだろう。


原題の南の風とは、グラツィアがアントニオに声をかけるとき、風車を揺らす風であり、あるいは、イタリアでは南部にあるシチリア島のマフィア支配の社会を象徴しているのか、または、シチリア島の南部に位置するパレルモでの二人が成就させた愛を象徴しているのか、いずれにもとれる。たしかに、「南の風」では抽象的過ぎてタイトルにならないので、邦題は、『暗殺指令』としたのだろう。


冒頭から、モノクロを活かし、カメラワークやフラーム内もヴァラエティに富んでおり、主役二人の演技もいい。

レナート・サルヴァトーリは、撮影時24歳、その後、ルキノ・ヴィスコンティの『若者のすべて』(1960年)で、パロンディ家の次男シモーネを演じている。クラウディア・カルディナーレにとっては、21歳のデビュー作である。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。