映画 『恐怖の岬』

監督:J・リー・トンプソン、脚本:ジェームズ・R・ウェッブ、撮影:サム・リーヴィット、編集:ジョージ・トマシニ、音楽:バーナード・ハーマン、主演:グレゴリー・ペック、ロバート・ミッチャム、1962年、105分、モノクロ、原題:Cape Fear


1991年に、マーティン・スコセッシ監督、 ロバート・デ・ニーロ主演により、『ケープ・フィアー』(原題同じ)として、リメイクされている。


マックス・ケイディ(ロバート・ミッチャム)は、強姦の罪で8年の服役を終え出所していた。検察に有利な発言をして自分を有罪にした弁護士サム・ボーデン(グレゴリー・ペック)に逆恨みをし、ボーデンのいる町に来て、その法廷にまでやってきた。ボーデンが車で帰ろうとすると、そこにケイディが近寄り、不吉な言葉を発する。

やがて、ボーデンはその妻ペギー(ポリー・バーゲン)や娘ナンシーとともに、ケイディの執拗ないやがらせを受けることになる。・・・・・・


すでに著名な男優二人を主役に据えたサスペンス映画であり、その意味で、サスペンスとしては贅沢な作品だ。ボーデンの味方になる警察署長マーク・ダットンにマーティン・バルサム、同じく、ダットンに紹介され、ボーデンの味方となる私立探偵チャーリー・シーバスをテリー・サバラスが演じている。テリー・サバラスは当時40歳で、まだ髪がある。


ケイディは、いきなりボーデンを殺したりするような直接的な行為には出ず、ボーデンからの金銭の申し出も拒絶する。つまり、最高度に粘着型のストーカーとして、ボーデンとその一家に、逆恨みの復讐をしかけていくのである。その手始めは、ナンシーがかわいがっている飼い犬が、毒を飲まされて殺されたことであった。


家族の日常の団欒にまで押しかけ、ボーデンに発見されるが、ケイディは、特に何もしない。いきなり違法行為には及ばないのだ。警察はケイディを遠くに引っ越しさせるよう試みるが、ケイディの雇った弁護士により、それもうまく行かない。

結局、ボーデンは、ダットンやシーバスと示し合わせ、ケープ・フィアーという名の川沿いにあるログハウスに家族と移り住み、そこにケイディを招き寄せて、捕えようとする。


ラスト20分は、ケイディとボーデン一家の水辺での闘いであり、本作品の圧巻である。ケイディが、ペギーに接近し、まさにレイプしようとするシーンや、ひとり残されたナンシーに迫り、ナンシーの口を押えて外に出てくるシーンなど、実に生々しい。そこに、サムが襲いかかり、ラストは、サムとケイディの決死の戦いとなるのである。


二人の戦いを川沿いに設定したことで、ケイディは上半身裸で水に濡れており、ボーデンは服を着たままであるが、びしょびしょになって戦うことになる。むしろ、こういうシーンを撮りたいがために、川沿いに舞台を移したとも言える。

ロバート・ミッチャムが、濡れた裸でペギーやナンシーに接近し、手を触れるあたりは、ただそれだけのことであるにもかかわらず、実に薄気味悪く、サスペンスが盛り上がる。これは、そこまで、ケイディはひとり、身体的には独立感を保って撮られてきているので、ラストでの男と人妻、男と少女のツーショットの意味が、明瞭となってくるのである。


ケイディの残虐ぶりは、バーで知り合った女を口説き、犯したあと、顔に暴行を加えていることからもわかる。ボーデンに対する逆恨みは、ボーデン自身でなく、その妻や娘にまで及ぶことになれば、この女と同じ目に合うだろうことを、観ている側に想起させている。


無駄な台詞もなく、カメラも、サスペンスを盛り上げるのに、うまくカットとシークエンスをつないでおり、音楽は、ヒッチコック作品で有名なバーナード・ハーマンのメロディが、サスペンスを盛り上げている。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。