監督:デスティン・ダニエル・クレットン、脚本:デスティン・ダニエル・クレットン、アンドリュー・ラナム、原作:ブライアン・スティーヴンソン『黒い司法 黒人死刑大国アメリカの冤罪と闘う』、撮影:ブレット・ポウラク、編集:ナット・サンダース、音楽:ジョエル・P・ウェスト、主演:マイケル・B・ジョーダン、ジェイミー・フォックス、2019年、137分、原題:Just Mercy
1987年、アラバマ州で、木を伐採する仕事をしている黒人のウォルター・マクミリアン(ジェイミー・フォックス)は、警察にいきなり車を止められ、殺人容疑で逮捕され、その後、死刑判決を受けてしまう。
一方、ブライアン・スティーブンソン(マイケル・B・ジョーダン)は、ハーバード大学のロースクールを卒業し、弁護士資格を取得したにもかかわらず、黒人としての自らの生い立ちもあり、死刑囚の人権擁護活動をしようと決心した。いまだに黒人差別の激しいアラバマ州のとある町に仕事場を探していると、同じく、受刑者の人権擁護活動に勤しむエバ・アンスリー(ブリー・ラーソン)という白人女性に出会い、彼らは小さな事務所を設立し、地元の黒人女性を秘書に雇った。
ブライアンはウォルターの一件を知り、彼が証拠もなく有罪にされ、しかも警察や検察、弁護士たちも、真実や証拠を追究せず、白人のいいなりに従っているようすに憤りを覚える。ウォルターは、ニセの証言や、でっち上げ、司法取引などにより、有罪にされてしまっていた。ブライアンは、真実を究明し、ウォルターの無実を証明するために立ち上がるが、そこにはさまざまな困難が待ち受けていた。・・・・・・
黒人ゆえに無実の罪を着せて平然としている、という社会に、同じ黒人の若い弁護士が、ひとり戦いを挑んでいく、というストーリーだ。
初めて実家を離れるときの母との会話にあるように、ブライアンの決意には、多くの壁が立ちはだかり、実際、そのとおりであった。
実際にそれなりの罪を犯しているのであれば、死刑もありうるが、ウォルターの場合は、すべてが警察や検察による捏造であり、無罪であることは明らかである。その前提のうえでのブライアンの活躍である。
初め、頑なな態度をとっていたウォルター自身も、少しずつ胸襟を開き、ブライアンを頼るようになる。ウォルターの妻や子、近隣の人々の温かい励ましも、ブライアンにとってはありがたかった。
ウォルターを有罪とした証拠を、片っ端から崩していくブライアンであったが、再審請求で終わりかと思いきや、地元の裁判所では再審が却下される。ここは、ひとつのどんでん返しり、これでハッピーエンドではなかったのである。ラスト20数分で、ブライアンが州最高裁に持ち込み、検察側の突然の再審の棄却請求断念という結果をもって、ようやくウォルターは死刑を免れ、自由の身となることが描かれる。
後半で数回、法廷シーンがあるが、法廷ドラマではない。黒人差別と闘う黒人の若い弁護士と、冤罪を晴らすために戦う黒人とが、黒人に対する偏見と闘っていくドラマである。冒頭に、これは、実際にあった話である、と出る。終わりにも、元となった実際の人物のエピソードが流される。
といって、映画自体は、偏見反対を声高に叫ぶようなものではなく、ひとつの作品としての品格を保っている。その意味で、台詞・映像・場面転換などを含め、映像作品として評価されてよいだろう。
正義を貫くために大声を出したり、主演クラスの人物に激しい感情の起伏を見せたりするシーンはなく、ストーリーは静かにゆっくりと進んでいく。重いテーマではあるが、妙に暗くなるシーンはなく、好感をもてる。重いのと暗いのとでは、意味が違う。
カメラに特段の撮り方はなく、室内のシーンではハンディが多いが、それほど気にならない。
ウォルターのいる独房の左右には、同じく死刑執行を待つ黒人の受刑者がいて、壁越しに会話をする。ウォルターの左隣のへやには、実際に人を殺したものの、やや精神異常に陥っている男がいて、このメガネをかけた初老の男は、ウォルターが再審請求をしているさなかに、死刑を執行される。ブライアンは、電気椅子による執行のようすを、ガラス越しに見ている。無実であるウォルターを、絶対にこうさせてはならない、と決意するアクセントとなるシーンだ。
テーマとしては、過去にいくらでも似たような作品があるが、一定のテンポで、誠実に撮られた作品で、派手さはないが、好感をもてる映画だ。
ウォルターを陥れるため、警察に頼まれて偽証していたラルフ・マイヤーズ役のティム・ブレイク・ネルソンの名演技が光る。ラルフは数回、ブライアンと向き合うが、偽証と自らの良心との葛藤を、みごとに演じている。
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