映画 『家の鍵』

監督:ジャンニ・アメリオ、脚本:ジャンニ・アメリオ、サンドロ・ペトラリア、ステファノ・ルッリ、原作:ジュゼッペ・ポンティッジャ『明日、生まれ変わる』、撮影:ルカ・ビガッツィ、編集:シモーナ・パッジ、音楽:フランコ・ピエルサンティ、主演:キム・ロッシ・スチュアート、アンドレア・ロッシ、2004年、111分、イタリア映画、原題:Le chiavi di casa、(= The Keys to the House )


アルベルト(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)がジャンニ(キム・ロッシ・スチュアート)と話している。ジャンニには妻子があるが、15年前に付き合っていた恋人との間に子供が出来たが、出産時に恋人は死亡し、胎児は障害をもって生まれた。ジャンニは、その子の顔さえ見ず、立ち去っていた。その子パオロ(アンドレア・ロッシ)は、その恋人の兄であるアルベルトが面倒を見ていたが、ある医師がアルベルトに言うには、実の父と会い、時を共有することで、パオロの障害に良い成果が出ることもある、とのことだった。こうしてジャンニは、アルベルトからパオロを預かることになる。

ミュンヘンから、リハビリ施設のあるベルリンに向かう列車のなかで、ジャンニはパオロの寝姿を見て不安に駆られる。翌朝、目を覚ますと、パオロは食堂車でコンピューターゲームをしていた。

ベルリン着き、鉄道の見えるホテルの一室に滞在し、そこから数日間、リハビリ施設のある病院に通うことになる。病院内でジャンニは、言語障害のある娘を持つニコール(シャーロット・ランプリング)と知り合う。パオロが検査を受ける間、ジャンニはニコールと二人になり、多少の言葉を交わす。障害のある子を持つ親同士の会話ではあるが、ニコールは娘との20年近い経験もあり、今のジャンニの戸惑いや不安を察していた。・・・・・・


パオロは小児麻痺であり、15歳ではあっても、体はそれほど大きくない、左手と右脚が不自由で、歩くときは杖を使う。言語に障害はないが、空想的なことを繰り返し話したり、年頃ということもあり、ジャンニの言うことを聞かなかったり、ジャンニをからかったりもする。

冒頭の寝台車のシーンでは、ジャンニがパオロを見やる表情は映るが、パオロの寝姿は映らない。パオロが初めて登場するのは、食堂車の中でである。


ストーリーには、ジャンニやアルベルトの現在の家族の生活は一切映らず、ジャンニとパオロのやりとりが中心だ。ジャンニは、パアロのいたずらなどに、時として憤るが、それをすぐ叱ったりするようなことはせず、全般的に、忍耐強く付き合っていく。

ジャンニは、アルベルトに言われた当初は、15年ぶりに初めて会ったパオロを、今さら育てようとは思っていなかったが、パオロと時を同じくするうち、最後は、パオロを引き取ることを暗示して、映画は終わる。


ジャンニの気持ちがそう傾いていく最初のきっかけは、リハビリ施設での、医師らによる厳しいリハビリ訓練のときであった。指示どおりに、不自由な脚で一定の距離を行ったり来たりするパオロを見て、訓練の途中であるにもかかわらず、ジャンニはパオロに駆け寄って抱き締める。たびたび会うニコールとの会話からも、障害をもつ子供の親としての苦労を聞かされるが、それでも挫けないニコールの親としての姿にも啓発される。ジャンニは、もはやリハビリに通わせることもやめ、パオロを車に乗せ、ミラノの自宅に向かう。

車中では、パオロが、運転しているジャンニのハンドル越しに、何度も警笛を鳴らすので、ジャンニはさすがに怒る。車を降りると、パオロが一人で車を降り、ジャンニに寄り添う。謝罪の言葉は何もないが、ジャンニの目からは涙があふれ、パオロに諫められる。


ジャンニとパオロが出会うまでの設定は、最初のシーンでアルベルトとジャンニによって語られるだけであり、設定自体が非現実的であるが、原作がそうなっているのだろうから、それを言っても始まらない。初めて対面したときのシーンは省かれ、列車の中のシーンから始まるのも、そういう前提には触れないということだろう。

障害のある子どもと、15年経って、あたかも他人同然の実の父親との出会いと、その結末を、なるべくリアルに描き出そうとした作品だ。そして、出会ってから以降のストーリーは、いかにもありのままに描かれ、二人の魂は直接触れ合うまでになる。


常に、穏やかな笑みを浮かべるニコールが、あるときジャンニに語る言葉は、これも長い間、障碍者の娘を育ててきた母親として、恐ろしいが説得力もある。

「あの子が死んでくれたらいいのに…」


ストーリーにメリハリがあるわけでもなく、パオロの不可思議な言動に付き合うことにもなるが、障碍者とその実の親との出会いと交流を描くのは、映画製作上はあまりないことでもり、貴重な作品であろう。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。