映画 『恐怖と欲望』

監督・製作・撮影・編集・音響:スタンリー・キューブリック、脚本:スタンリー・キューブリック、ハワード・サックラー、音楽:ジェラルド・フリード、ナレーター:デヴィッド・アレン、主演:フランク・シルヴェラ、1953年、62分、白黒、原題:Fear and Desire


キューブリック、24歳のときの初の長編映画。


自分たちの軍用機が攻撃され、敵陣の奥地の森に無傷で放置されたのは、コービー中尉(ケネス・ハープ)以下、軍曹のマック(フランク・シルヴェラ)、フレッチャー(スティーブ・コイト)、一番若いシドニー(ポール・マザースキー)の4人であった。

コービー中尉の指示で、マックが付近を偵察すると、少し行ったところに川があることがわかった。4人は、筏を作って、川を下り。自陣へ戻ろうと計画する。マックは望遠鏡で、川の反対側に敵のアジトを見つけ、そこに将軍らしき人物がいることを知る。コービーに奇襲を仕掛けようと提案するが却下される。

翌日、その川で魚を取ってきた現地の少女に、4人は姿を見られる。4人は、一本のベルトで、彼女を木に括りつける。コービーら3人は、シドニーに見張りを命じ、筏の作成に向かう。その間、シドニーは、自らの恐怖を紛らわせるため、少女を笑わせるなどして一人で話しまくるが、水を掬ってきて、手のひらから彼女に飲ませたことで欲望を覚える。彼女に無理やり接吻し抱き締めるが、かわりに君も抱き締めてほしい、などと言って、木に括りつけていたベルトをはずしてしまう。少女は、すぐさま逃れるが、シドニーは咄嗟に、彼女を撃ち殺してしまう。銃声に気付いてマックが駆けつけると、シドニーは既に気が変になっており、そのままどこかに消え去ってしまう。・・・・・・


本人が封印していた作品だけあって、たしかに稚拙な感は否めないが、実験映画としては成功しているのではないか。


元々、カメラやカメラワークには詳しいキューブリックは、いろいろな試みをおこなっている。

会話の途中に、その話者でない人物の顔を一瞬入れる、話者二人の顔の位置は決まっているのに、片方の話者が違うほうを向いている顔のショットを挿入する、など、1953年当時の映画製作の常識から言えば、ありえないような新規な試みがなされている。敵陣の将軍らがコービーらに殺されるが、床にころがった遺体や顔を、何度も映すのもキューブリック流であろう。

フレーム切りも適切で、広角レンズを使い、遠くまでのすべての対象がくっきり映すやりかたや、太陽光を活かした撮影などは、その後のキューブリック作品に受け継がれている。奥行のあるシーンの撮影は、その後、広い室内などを撮るときに活かされている。

この映画は、撮影より、編集のしかたにおいても、大いなる実験映画となっている。


タイトルは、戦場において、しかも、敵の陣地に奥深くに置かれた兵士の心理を表わしているが、その象徴は、シドニーであろう。少女を相手にするうちに、徐々に気が触れていくが、ラストでは、マックの筏に救われる。

マックは、より勇敢な兵士として描かれる。マックの提案で、自分が囮になるので、その間に、コービーとフレッチャーに、敵の陣地を攻撃させ、セスナを奪って逃げさせることになる。これはマックの兵士としての覚悟で、この提案は成功するが、マック自身は負傷し、シドニーと会うころには絶命している。


敵陣にいる将軍二人は、コービー役のケネス・ハープとフレッチャー 役のスティーブ・コイトが、二役を演じている。予算の関係かも知れないが、これもキューブリックの実験だろうか。同じ役者の演ずる人物同士が、殺す側と殺す相手側になっているのである。


突然、犬が出てくるシーンがあるが、これは後で、敵の将軍の飼い犬とわかる。犬の使用も、ストーリー上のひとつのアクセントになっている。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。