映画 『ルートヴィヒ』

監督:ルキノ・ヴィスコンティ、脚本:ルキノ・ヴィスコンティ、エンリコ・メディオーリ、スーゾ・チェッキ・ダミーコ、撮影:アルマンド・ナンヌッツィ、編集:ルッジェーロ・マストロヤンニ、音楽:ロベルト・シューマン、リヒャルト・ワーグナー、ジャック・オッフェンバック、1972年、237分(完全版、短縮版は184分)、イタリア語、イタリア、フランス、西ドイツ合作、原題:Ludwig


日本公開は、1980年11月、『ルードウィヒ/神々の黄昏』という邦題で、短縮版であった。


バイエルン王ルートヴィヒ2世(ヘルムート・バーガー)が即位してから自害するまでを、史実に沿った形で描く歴史ドラマ。


自分が国王になどなっていいものかどうかについて、親しい神父と対話し、やがて一大決心をして、国王に即位する。

ただ、この孤高の若い王は、政治や財政のことより、芸術を愛する自らの趣味嗜好に忠実であった。作曲家ワグナーを重用し、その挙句、ワグナーに翻弄されかかる。周囲のアドバイスにしたがってワグナーを遠ざけたが、その作品を愛することに変わりなく、ワグナーとの交流は不安定ながら続いていく。

従姉でもあるオーストリア皇后エリーザベト(ロミー・シュナイダー)を慕い、恋愛に目覚めるが、エリーザベト本人からも、妹ゾフィー(ソーニャ・ペドローヴァ)との結婚を迫られる。だが、これを拒否し、ルートヴィヒは増々ワグナーの歌劇にのめり込む。歌劇の主役の男優に特別な計らいをするも、男優はその無理でわがままな要求に付いていけない。

浪費とも思えるような城の建設をし、そこに籠るルートヴィヒは、少しずつ精神を病んでいく。男ばかりを集めた饗宴を開き、愛の対象は同性にも広がる。・・・・・・


豪華なセットや、装飾、絵画、ドレス、メイクアップを始め、実際の城などへのロケなど、ヴィスコンティの個性が溢れんばかりの長編である。

カメラも、ワンシーンごとに長めであり、同じ対象を舐めるように行きつ戻りつ撮るというのも、ヴィスコンティの好む方法だ。


この豪華賢覧な映像絵巻は、ルートヴィヒの一生を描いたものであり、その心理ドラマを、饒舌な台詞やナレーションを使わずに表現した点は、映画の何たるかをヴィスコンティが十分心得ているからだろう。俳優の演技力やそこに生まれる表情、毎度おなじみの神経質なほどの演出や撮り直しによって、この映画の製作目的は達成されている。


ただ、正直言って、おもしろくないのだ。『ベニスに死す』(1971年)のような、映画としてのストーリー性がない。言わば、各部分と全体を結び付けて相乗効果をもたらすような、映画作品としての有機的作用がないのである。たとえ、フレームの中がゴージャスであっても、事実を並列していくだけで、ストーリー展開に、観る側を魅了していくような牽引力がない。

豪華絢爛な衣装や住まい、国王貴族の暮らしぶりに我が身をなぞらえるような人からすれば、日本ではまず見られない映像の実現であり、その意味では感動もするのだろうが、一編の映画としては、冗長であり、拷問を強いるような作品である。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。