映画 『孤独な天使たち』

監督:ベルナルド・ベルトルッチ、脚本:ベルナルド・ベルトルッチ、ニコロ・アンマニーティ、ウンベルト・コンタレッロ、フランチェスカ・マルチャーノ、原作:ニコロ・アンマニーティ『孤独な天使たち』、撮影:ファビオ・チャンケッティ、編集:ヤコポ・クアドリ、美術:ジャン・ラバッセ、音楽:フランコ・ピエルサンティ、主演:ヤコポ・オルモ・アンティノーリ、テア・ファルコ、2012年、97分、イタリア映画、原題:Io e te(=me and you )


ベルナルド・ベルトルッチの遺作となった。

邦題は、内容を汲んだのだろうが、天使は要らない。映画を観るときには、必ず原題をチェックしてほしい。一般に邦題は、注目を集めるためと内容を汲むことで、原題を多少変えることが多い。それでも、必ず原題に当たるべきで、わからない言語であれば翻訳機にかけて訳を知っておくべきだ。


孤独が好きな14歳の少年ロレンツォ(ヤコポ・オルモ・アンティノーリ)は、学校のスキー旅行に行く費用をネコババし、親には行ったふりをして、そのカネで、一週間分のジュースや缶詰などを買い、自分の住むアパルトマンの地下の奥の部屋に閉じこもる。薄汚い部屋であったが、ソファもあり、それを寝床とし、コンセントもあるのでPCを見ることもできた。誰かに見つからないように、ヘッドホンで好きな音楽を聴き、本を読み、お気に入りの蟻の巣まで買い、容器に入れて楽しんでいた。

二日目に、突然、父親の前妻の娘で姉に当たるオリヴィア(テア・ファルコ)が現われ、久しぶりの突然の対面となる。オリヴィアは、行く当てがなく戻ってきたのだ。オリヴィアはロレンツォに、しばらく一緒に過ごしたい、入れてくれなければ大声を出す、と言う。ロレンツォはしかたなく招き入れる。彼にとっては、楽しいはずの一人の時間が台無しにされ、初めは反発したが、姉の主張も強く、同居せざるを得なかった。オリヴィアは、多少、社会経験もあることから、いろいろ話しかけるので、ロレンツォも次第に、やむなく話すようになる。経験といっても、ドラッグをやっていることもあったが、写真のモデルをしていた時期もあったと言う。・・・・・・


こうして、6日間、ロレンツォと異母姉オリヴィアとの同居が始まり、最後は、明け方に、こっそり、ロレンツォがオリヴィアを途中まで送り、ひとり戻ってくる途中、ロレンツォのアップ画像が止まる。少しにこりとしたロレンツォの表情に、この一週間の充実ぶりが現れている。


青春よりほんの少し前の思春期、日本で言えば中学2~3年ころの心理的に微妙な時代。そのころの男の子の心理を、モノローグを一切使わず、台詞と映像だけで描いたのは、監督の覚悟である。そんなのは当たり前と言われようが、心理に焦点を当てたドラマには、邦画でもそうだが、むやみに独白が入る。映画は小説ではない。心理ドラマを映像にするというのは、ひとつの覚悟である。

しかも、本作品では、オリヴィアが図々しく同居することで、二人の会話は徐々に濃密になっていく。せっかくの自分の夢を、姉のせいで台無しにされながら、身の上を思いやり、少しずつ姉の言うことを聞くようになる。ソファーの横に置いたテーブルに、オリヴィアとロレンツォが並んで横になるシーンは、何とも麗しい瞬間だ。


ロレンツォはまだニキビづらで、髪もボサボサで、冒頭のカウンセラーの医師との対話でも、まともな応答をしない。オリヴィアも、崩れた生活をしてきたことで、長い髪も手入れが行き届いておらず、禁断症状から、吐いたり、のたうち回ったりする。

映画とは、きれいなものを撮るものだ、という信念をもつ者からすれば、本作品は、映像として、決して美しい映画ではない。ほとんどのシーンは、この二人のいる地下室やトイレであり、灯りがなければ暗く、その他のシーンも、青空の元で撮られたところは一つもない。しかし、これが、今のロレンツォにできる最高の生活なのであり、彼はそれを満喫しているのである。


この暗いじめじめした地下室で、腹違いの姉と共有した時間は、今後、ロレンツォのどういう影響をもたらすのか、ロレンツォにとって、どんな思い出になるのかは、ロレンツォ本人にしかわからない。

そんなロレンツォに、とりあえず、よかったよな、と声をかけて上げたくなるようなラストであり、映画である。ラストのロレンツォの表情は、カメラ目線となっている。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。