映画 『クロール -凶暴領域-』

監督:アレクサンドル・アジャ、脚本:マイケル・ラスムッセン、ショーン・ラスムッセン、製作:アレクサンドル・アジャ、サム・ライミ、クレイグ・フローレス、撮影:マキシム・アレクサンドル、編集:エリオット・グリーンバーグ、音楽:マックス・アルジ、ステフェン・スム、主演:カヤ・スコデラリオ、バリー・ペッパー、2019年、87分、原題:Crawl


水泳のクロールだけでは意味不明なので、邦題で、凶暴領域、と付けたのだろう。


動物を使ったホラー映画には、古くは、ヒッチコック監督の『鳥』(1963年)があり、ルイス・ロッサ監督の『アナコンダ』(1997年)、ジョー・ダンテ監督の『ピラニア』(1978年)、そのリメイク版である『ピラニア 3D』(2010年)などあるが、本作品は、その『ピラニア 3D』と同じアレクサンドル・アジャが監督をしており、製作陣に、サム・ライミも加わっている。

それぞれの動物の特性により、撮影も苦労も違ってくるが、本作品に登場するのはワニであり、水中の撮影が中心で、人に噛みつくシーンなどを含め、大量の水の準備とともに、苦労が偲ばれる。


フロリダ州にある大学の女子大生ヘイリー・ケラー(カヤ・スコデラリオ)は、水泳の選手であった。練習を終え、ロッカールームで着替えていたところ、姉のベス(モーフィッド・クラーク)からテレビ電話が入り、一人で別のところに住んでいる父デイブ(バリー・ペッパー)の行方がわからない、との連絡を受ける。当時、フロリダ州には、強大なハリケーンが上陸しており、父の住む方面は危険な地域であった。

ヘイリーは家に向かうが父はおらず、元々家族で暮らしていた別の家のほうに行ってみた。家に着くと、愛犬シュガーしかいなかったが、不審に思い、地下を這っていくと、肩に大きな引っ掻き傷のある父を発見した。地下には大量の水がたまっており、さらに増水している。介護しているうちに、父は意識を戻したが、父によると、ハリケーンで押し寄せた近くの湖から、大量のワニが入り込んだようだ、とのことだ。二人は何とか脱出を試みる。・・・・・・


正直言って、エンタメ性がない。

ヘイリーと父が閉じ込められた地下が主要な舞台で、苦労に末、一旦、地上に脱出しながら、ダムの放水によって、また家屋に押し流される。そこでもワニと戦うが、何とか救助ヘリに見つけてもらい、エンディングとなる。

舞台がほとんど一箇所なので、たしかに、広い地下には、いろいろな造作を施し、そこでの二人の動きやワニに襲われるシーンも、カメラが工夫しているのはよくわかる。ホラー映画ホラーシーンは、<忘れたころに突然やってくる>という原則があるが、本作品も、とりあえず、この原則には則っている。主演二人も、それなりに熱演している。ヘイリーが水泳の選手だということも、話の展開上、都合がよかった。彼女の特異なクロールで、ワニが追ってくるのを振り切るシーンもあるからだ。膨大な水を使うセットや、水浸しになった街角、薄汚い地下や排水路なども、うまくできている。


では、なぜ、おもしろくないのか。二つの理由に思い当たる。


一つは、ワニが怖くないのだ。どのワニも、外見がきれい過ぎるが、ワニを汚く、怖い顔につくればよい、ということではない。ワニそのものは、われわれみんな、姿かたちを知っている。ワニが人間を襲うときに、キャーッ、怖い! アレってイテエだろうな! と思えない、ということだ。これは、もう一つの理由につながる。主役二人はたしかに熱演しているが、特に主役のヘイリーの演技にリアリティがないので、感情移入できない、ということだ。これは結局、演出が徹底されておらず、ひいては、監督の責任である。


一例を挙げれば、ヘイリーが、悪天候のなか、警察が通行禁止としている道を車で走ってきて、家の中を探しに探した挙句、ようやく、地下の奥に父を発見し、右肩に大きな引っ掻き傷があるのを発見する。ようやく父を見つけた、だが意識を失っている、パイプには血痕が付着している、肩に尋常でない大きな傷がある、・・・これらを見たとき、娘はあのような反応をするか、という点だ。これと似たようなところはたくさんある。また、親子の気持ちのすれ違いの話も、ストーリーに厚みをもたせようという意図からきているが、ほとんどそのエピソードは内容に絡まない。順調にやってきた同居している親子であっても、ワニを敵に回せば、一致団結するだろう。


仮にB級ホラーといっても、ストーリーなど二の次で、怖いシーン、残虐なシーンが、タイミングよく見せ場をつくってくれていれば、それで観客は満足するのである。

その意味で、本作品は、中途半端な出来となってしまった。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。