映画 『テナント/恐怖を借りた男』

監督・主演:ロマン・ポランスキー、脚本:ロマン・ポランスキー、ジェラール・ブラッシュ、原作:ロラン・トポール『幻の下宿人』、撮影:スヴェン・ニクヴィスト、編集:フランソワーズ・ボノー、音楽:フィリップ・サルド、共演:イザベル・アジャーニ、1976年、126分、フランス映画、英語、原題:The Tenant


ポランスキー、42歳のときの主演作品。後半では、彼の女装も見られる。ポランスキーの格闘技の師匠であったブルース・リーの姿も、劇中、上映されている映画として映っている。

撮影のスヴェン・ニクヴィストは、『仮面/ペルソナ』(1966)や『ファニーとアレクサンデル』(1982年)など、イングマール・ベルイマン監督の作品で有名。

ほとんどの俳優が英語圏の出身でない。英語圏でない俳優が英語を話すと、かえってきれいで、聞き取りやすい。


ポーランド系の青年トレルコフスキー(ロマン・ポランスキー)は、築年数の相当経った古びたアパートに越すので、不愛想な管理人(シェリー・ウィンタース)により、へやを案内してもらう。彼女によれば、直前までこの部屋に住んでいたシモーヌ・シェールという女性は、自室の窓から飛び降り、重傷を負い、今は入院しているという。

トレルコフスキーは、入院中のシモーヌを訪れるが、ほぼ全身に包帯が巻かれ痛々しく、言葉も発せられない状態であった。そこに、シモーヌの友人だというステラ(イザベル・アジャーニ)が現われる。ステラは動揺して涙ぐむばかりなので、一杯やろうと誘い、その後、映画を観る。

アパートに帰ると、自室の正面あたりに見える、このアパートに一室しかないトイレから、誰かがこちらを凝視していた。薄気味悪く感じ、すぐカーテンを閉めた・・・・・・


その後、土曜の夜に転居祝いをして騒音を出したことで隣人から抗議を受けたり、同じ住人でありながら、足に障害のある娘をもつガデリアン夫人が、他の住人からのけ者扱いされていると訴えられたり、と、さまざまな出来事で、トレルコフスキーは、アパートの住人や家主や管理人に疑心暗鬼となっていく。

やがて、シモーヌも、もしかしたら、こうした状況のなかで、自殺に追い込まれていったのだ、という妄想に取り憑かれる。このあたりの意味を汲んで、邦題のサブタイトルが付けられたのだろう。


ついに、トレルコフスキーは、死に至るまでのシモーヌの心理的軌跡を辿ろうと、自ら女装し、さまざまな想像をはたらかせる。そして、ついに、トレルコフスキー自身も、窓から飛び降りてしまう。


ポランスキー好みの、不条理・猜疑心・妄想・周囲への反発心・敵愾心などが組み合わされたサイコ作品である。不愛想な隣人たちに対する描写から、いつの間にか、徐々にトレルコフスキーの心理ドラマに移行していくあたりはなかなかうまい。


大きくメリハリがあるドラマではなく、少しずつ事態が変化していくドラマなので、多少退屈を感じる。それでも、日常の出来事に材をとるところから始まっている点は評価したい。

どんちゃん騒ぎをすれば、近所から苦情がくるのはあたりまえだし、トレルコフスキーが同僚にアパートを訪問して、大音量で行進曲を鳴らす同僚に対し、静かにしたほうがいい、とたしなめるのも普通のことだ。


そうした日常から、不可解だと思う先の住人の死に対し、理論的に証拠を集め、客観的に原因を追究するというより、段々と、いくつかの事件によって、トレルコフスキー自身が神経過敏となり、心理に異常を来していく、という運びにした点が個性的である。いわば、シモーヌの死に対する不可解を追究しようとしたミイラ取り自身が、次第にミイラ自体になってしまうのである。


ポランスキー自身の俳優としての演技に、特に問題もない。落ち着いたまじめなサラシーマンの状態から、急にキレそうになったり、怒鳴ったりするところまで、しっかり演じ分けている。

カメラワークにも特殊なものはなく、面倒がらずに撮り、丁寧にカットをつないでいる。


本作品でも、ポランスキー独特の個性を見ることができる。


同じアパートの住人、ガデリアン夫人を演じるリラ・ケドロヴァは、ヒッチコックの『引き裂かれたカーテン』(1966年)で、クチンスカ伯爵夫人を演じた名脇役女優である。


フィリップ・サルドによる音楽も優しく流れ、特にオープニングの旋律は美しくミステリアスで、タイトルバックと似合っている。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。