映画 『病院坂の首縊りの家』

監督:市川崑、脚本:日高真也、久里子亭、原作:横溝正史、製作:市川崑、馬場和夫、黒沢英男、撮影:長谷川清、編集:小川信夫、長田千鶴子、音楽:田辺信一、主演:石坂浩二、佐久間良子、1979年、139分、東宝。


脚本の久里子亭とは、市川崑と妻・和田夏十が、共同執筆のときに使うペンネーム。

『犬神家の一族』(1976年)とほぼ同じ陣容のスタッフであるから、内容も同じ類いの映画であるが、『犬神家~』よりは、脚本が劣化しており、それゆえ、映画全体に<締まり>がなく、エンタメ性も消えてしまった。


画面に少ししか映らない人物を含め、登場人物がたいへん多い。きちんとした説明があるにはあるが、その部分は、時代考証のドキュメンタリーのような解説になってしまい、興を削いでしまう。

『犬神家~』でもそれは同じであったが、一つ一つの殺人に<花>があり、およそ犯人が誰か確定的な想像ができるし、殺害の順まで想像することができる。本作品も、犯人の予想はつくが、殺害自体に、そのつどのそこまでの流れから観ている側が<次>を想像しえず、意外性があると言えばそれまでだが、これは映画であって小説ではない。


現在に生きる母や子が、忌まわしい過去に操られ、泣き寝入りを強いられるような日常を送るなかに、事件は発生する。この構図は『犬神家~』と全く同じである。

カメラも、いろいろな撮り方をしており、瞬間的なカットからやや長めのカットまであり、編集も手際よく、観ていても映像上は気持ちがいい。

俳優も、当時の有名どころや演劇俳優などを使い、それぞれが味のある演技を披露している。特に、加藤武は『犬神家~』同様、大きなアクセントの役割をなし、撮影当時、26歳の草刈正雄も、演技の幅を広げていくころであり、いい味を出している。一人二役を担った桜田淳子の熱演も評価されてよいだろう。

但し、話の中心ともなる佐久間良子は、演技はうまいが、本作品のヒロインとしては、容姿・声とも、不向きである。


過去の出来事のほうに比重を置き過ぎた脚本により、以上のよさが、全体的に希薄になってしまった。『犬神家~』では、現在に影響を及ぼす限りでの過去についての言及であったものが、本作品では、過去の事実が大きすぎ、そのためにはあちらこちらで説明が必要で、過去と現在が一対一の比重で描かれるなら別だが、過去により現在が潰されてしまっている。

タイトルの病院坂の首縊り(くびくくり)の家についても、映画化するときに、別のタイトルにしたほうがよかっただろう。


ほとんど同じ陣容で臨んでも、『犬神家~』とは、微妙に差の出る作品となってしまった。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。