映画 『蛇の卵』

監督・脚本:イングマール・ベルイマン、撮影:スヴェン・ニクヴィスト、音楽:ロルフ・ヴィルヘルム、主演:リヴ・ウルマン、デヴィッド・キャラダイン、1977年、119分、米・西ドイツ合作、カラー、原題:THE SERPENT'S EGG(DAS SCHLANGENEI)(=蛇の卵)


serpent には、悪魔という意味もあり、このタイトルは、悪魔の産んでいった卵=不穏な社会が生んだナチスの台頭、というニュサンスをもつ。ラスト近く、薄い膜を通して蛇の姿が見える、という台詞もある。


所はベルリン、1923年11月3日、土曜日の夜から始まり、11日早朝までを、アベルというユダヤ人の男を中心に描いている。

ドイツは、ヴェルサイユ条約に調印し、帝政も終了した後、経済的に混乱しており、作中にも名前が出てくるヒトラーが、台頭しつつある時代を背景としている。


アベル・ローゼンバーグ(デヴィッド・キャラダイン)は、兄、兄の妻マヌエラ(リヴ・ウルマン)とともに、サーカスの団員であったが、今は失職中であり、兄は離婚したため、兄と二人で安い宿に泊まっていた。ある晩、二人分の夕食をもって二階へ上がると、兄マックスは自殺していた。

その原因もわからないまま、今はショーパブで踊り子をしているマヌエラに、その死を伝えにいく。マヌエラはショックを受ける。アベルは、マヌエラの住まいに、しばらく同居することにする。・・・・・・


シドニー・ルメットの『質屋』(1964年)にも似て、こちらはカラー作品であるが、全編通じ、うす暗くやるせないムード漂う映画である。

『質屋』のソル・ナザーマンは、ナチスにより妻子を奪われた経験から、ずっとふさぎ込んだ生活をしているが、 アベルはソルよりは若く、ナチス台頭前の不穏な社会生活の中にあって、エネルギーのやり場や生き甲斐を失い、酒に溺れる生活をし、ややもすると自暴自棄にもなる。


まさに、当時のベルリンの不穏な生活を、アベルという中年男を中心に描いた作品だ。

何度か出てくるショーパブのショーは、退廃的で自堕落であり、他方、ダンスホールやバーなどは飲んだくれの男女で満員で、人々のエネルギーは、こんなところにしか発揮されないのかというアベルの表情は、観ているわれわれのもつ印象と同一だ。


住むところを失ったアベルとマヌエラは、マヌエラが親しくしていた医師ハンス(ハインツ・ベネント)の紹介で、病院内の一室を借り受ける。アベルは、この病院の資料を整理する仕事を紹介されるが、この病院では、ある人体実験が行われており、ラストで、ハンス自身が、その実験フィルムをアベルに見せる。

この部分で、初めて、アベルも観ているわれわれも、明確に、この国の方向が提示されることになる。

翌朝、アデルは、街中の消えていった、というナレーターが入り、終わる。


あてもなく夜の街をひとり歩いているアデルが、腰を下ろすと、向かいにいた娼婦が、アデルを誘う。二三やりとりした後、アデルはその娼婦の部屋にいくが、そこにこういう会話がなされる。

アデル「Go to hell !」(お前(=娼婦)なんか、地獄に落ちろ!)

娼婦「Where do you think we are ?」(あなた、私たちがどこにいると思ってるの?=こここそ地獄よ)

この娼婦の台詞に象徴されるのが、当時のベルリンであり、アベルの一週間である。


カメラワークとして特に注目するとことはないが、いつものように、フレーム内の図やフレームの切り取りはうまい。また、病院であれバーであれ、長い迷路のようなセットを使うのも、ベルイマンの常套である。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。