映画 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

監督・脚本:クエンティン・タランティーノ、製作:デヴィッド・ハイマン、シャノン・マッキントッシュ、クエンティン・タランティーノ、ナレーター:カート・ラッセル、撮影:ロバート・リチャードソン、編集:フレッド・ラスキン、主演:レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、2019年、161分、原題:Once Upon a Time …in Hollywood


レオナルド・ディカプリオ、44歳、ブラッド・ピット、55歳、アル・パチーノ、79歳、カート・ラッセル、68歳のときの作品。


1969年2月8日の話。

俳優のリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は、テレビの西部劇番組で有名になっていたが、いまひとつ映画スターへの道が開けないことで焦燥感に襲われていた。リックのスタントマンで身の回りの世話もしているクリフ・ブース(ブラッド・ピット)は、そんなリックを励ましつつ、マイペースに生きる男である。

ある日、リックは、プロデューサーのマーヴィン(アル・パチーノ)に呼ばれ、この際、イタリア映画に出てキャリアを積まないか、と提案され、リックはしぶしぶこれを引き受ける。・・・・・・


リックの再チャレンジと、リックに適度な距離をもって接していく、人のよい男クリフとの成り行きを軸とし、ちょうど半年後の同年8月9日に発生するシャロン・テート殺害事件をもう一方の軸に据え、ストーリーの大枠を設定したうえで、2時間40分に及ぶ映像遊びを提供する映画である。


シャロン・テートの夫であるロマン・ポランスキーは、前年1968年6月に『ローズマリーの赤ちゃん』を公開しており、当時としては衝撃的な内容だったが、それが功を奏し、映画は大ヒットし、時代の寵児としてもてはやされていた。

これに象徴される新たな潮流の始まりがリックを悩ませ、俳優としても、時代に乗り遅れたくないという焦りにつながっている。 

冒頭近くで、ポランスキー夫婦をさりげなく登場させたり、やたらにシャロン・テート(マーゴット・ロビー)の映像を多くしたりできたのは、この大枠があるからであり、この夫婦の存在が、まさに、Once Upon a Time …in Hollywood を象徴していると言える。


映画は、現実のテート殺害の部分を、リック宅への押し入りに変えている。テートを実際に殺害するチャールズ・マンソンらは、クリフがドライブ中に拾った女が、他の若者と集団で住んでいる「スパーン映画牧場」という名のヒッピー部落で、集団から崇拝されている存在として描かれている。

この時代、ヒッピー文化なるものがもてはやされてもいたが、リックをはじめ多くのまともな人間は、これを蔑んでいた。


リックの焦燥は、ポランスキーに触発されてもいるが、そのポランスキーには、やがて悲劇が起きるのだ、ということを観客は予想しながら観る。しかし、ラストは微妙に変更され、話をポランスキーにもって行かず、あくまでそれは、主役リックの引き立て材料としてのバネの役割をしていただけに過ぎないことがわかる。


エンドロールのさなか、リックが、ある銘柄のタバコの宣伝をする。とても旨いタバコができたぜ~、という感じのフィルムだ。売れないリックは、タバコのCMなどに出ざるを得なくなっていたということのようで、カット!がかかると、態度は一変し、けっ!まずいタバコだ!とホンネをぶちまけるのである。本編のリックの本性を象徴するひとコマだ。


ストーリー展開が大枠でわかっているだけに、安心して観ていられると同時に、ややもたつき感があるのは否めない。

ただ、この映画、あるいは、タランティーノの映画と言った方がいいのだろうが、映像や、シーンからシーンへの飛び、編集、カメラワークといったものを楽しむ映画でもあり、その点では、古き良き時代のアメリカの一部を、映像として、充分に楽しむことができる。特に、テートは、きれいに撮られている。

この時代を象徴するアメ車がいくらでも見られるし、高速道路での撮影もあり、何台の車を用意したのかと驚く。ほかに、撮影現場、バー、ヒッピーの住む牧場やその室内など、それぞれに丁寧につくられ、丁寧に撮られている。

過激なシーンはそれなりに用意されているが、編集がうまく、切れ味はいい。


ある時代のハリウッドを、ある落ち目俳優の「その日暮らし」を追うことで描き出した作品で、どちらかと言えば、映像から醸し出される雰囲気を味わう映画である。

クリフの存在あってこそのリックなのであり、この二人の<古き良きアメリカ的関係>が損なわれていかない、という大前提あっての「お話」でもある。リックとクリフが、フレームに同時に映っているシーンは多くない、という点に、この映画の個性が現われいる。


映画は、監督が脚本を兼ねると、成功か失敗かのどちらかにはっきりと分かれる。本作品も、成功したとは言えないが、メリハリのない展開を、かろうじて映像のエンタメ性で補っているぶん、救われたかも知れない。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。