映画 『運び屋』

監督・主演:クリント・イーストウッド、製作:クリント・イーストウッド、ティム・ムーア、クリスティーナ・リベラ。、ジェシカ・マイヤー、ダン・フリードキン、ブラッドリー・トーマス、脚本:ニック・シェンク、原案:サム・ドルニック『The Sinaloa Cartel's 90-Year-Old Drug Mule』、撮影:イブ・ベランジェ、編集:ジョエル・コックス、美術:ケビン・イシオカ 、衣装:デボラ・ホッパー、音楽:アルトゥロ・サンドバル、共演:ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、2018年、116分、原題:The Mule(=ラバ)


クリント・イーストウッド、88歳の監督主演作品。


2005年、イリノイ州の田舎町で、デイリリーという花を作り、園芸品を売っていたアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は、その12年後の2017年には、インターネットの普及で、商売が立ち行かなっていた。すでに、よわいを重ね、90となっていた。

孫娘のジニー(タイッサ・ファーミガ)の結婚披露パーティに、おんぼろ車でのこのこ姿を現わしたが、娘アイリス(アリソン・イーストウッド)や妻メアリー(ダイアン・ウィースト)から、けんもほろろに追い返される。そのとき、招待客の若い男から、無一文なだいい仕事がある、と紹介される。

現地に行ってみると、車をガレージの中に入れられ、ある荷物をある場所に届けるだけでカネをくれる、ということだった。開けてはならない、と言われていたので、アールは荷物に触りもしなかったが、実は、アールのしていることは、メキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だった。・・・・・・


メキシコ最大の闇組織シナロア・カルテルの麻薬の運び屋を秘密裏に務めていた、園芸家のレオ・シャープという実在する人物の話が元になっている。

だが、本作品は、フィルム・ノワールではなく、刑事ものでもない。麻薬売買を摘発するため、警察は動き、最後にアールも逮捕されるが、刑事ドラマでもアクションドラマでもない。

いわば、終着駅に至るアールの人生を、その一つ前の駅の発車時点から描いた人生模様である。


アールは、メアリー、アイリス、ジニーといった家族との関係を修復したいと思いながら、結婚して以来ほとんどの時間を、米国内の旅行や植物の栽培に費やしてきた男だ。ある意味、自分の生きたい人生を送ってきたわけだが、それはわがままとも言え、事実、家族は置き去りにされたままとなってしまった。彼はそのことで、家族に申し訳ないと思ってはいるが、自分のしてきた選択が誤りだったとは思っていない。

そんなアールは、疑うこともなく、麻薬の運び屋となる。人がよく、質問することもなく、依頼する組織の言うなりに動くので、連中からすれば重宝な人間だ。


だが、マイペース過ぎて、ときどき寄り道をしたりすることで、連中から監視されることになり、一方、警察は、連中の一人と取引し、囮として情報屋にさせ、じわじわと組織の実態に迫ってくる。そして、最後には、アールは捕まり、法廷で、自ら有罪を宣告し、収監される。傍聴に来ていた家族は、何回でも面会には行くから、声をかける。

ラストでは、刑務所の庭でデイリリーを育てているアールの姿があるが、何を後悔するでもなく、無心に花を眺めているさまが映し出される。


肩肘張らず、中庸のテンポで進み、難しい展開があるわけでもない。夕食前か食事後にでも、ふらりと映画館に入って楽しめるような映画である。クリント・イーストウッドの監督した今までの映画にたまに見られるような、しかつめらしい展開や演技、台詞はない。どこかのどかでマイペースである。家族を放置してでも得たアールの世界とは、そういうものなのだろう。

時折、ユーモラスな台詞もあり、アールが人生訓らしき言葉を吐くこともあるが、わがまま人生を歩んできた年寄りの言葉であって、決して説教じみてはいない。


シンプルな内容の娯楽映画であり、多くの人がふつうに楽しめるだろう映画である。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。