監督・脚本:イングマール・ベルイマン、製作:ヨルン・ドンネル、撮影:スヴェン・ニクヴィスト、編集:シルビア・インゲマーション、美術:アンナ・アスプ、衣装:マリク・ボス、音楽:ダニエル・ベル、主演:バッティル・ギューヴ、ペルニラ・アルヴィーン、1982年、311分、スウェーデン、フランス、西ドイツ合作、スウェーデン語、原題:Fanny och Alexander
日本での公開当時、岩波ホールに観に行った作品。一日に二回の上映であった。
監督のイングマール・ベルイマンが、自身の故郷である地方都市ウプサラを舞台に撮った映画で、ベルイマンの自伝的作品と言われる。
第56回アカデミー賞において外国語映画賞、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞を受賞している作品。
5時間以上に呼ぶ膨大なストーリーは、「プロローグ」「第1部 エクダール家のクリスマス」「第2部 亡霊」「第3部 崩壊」「第4部 夏の出来事」「第5部 悪魔たち」から構成されており、発売されている2枚組DVDでは、第3部までが1枚目、第4部からが2枚目となっている。それぞれのチャプターの始まりには、さまざまな澄んだ水の流れるさまななどが映されるが、第5部の始まりだけは、それに加えて、骨だけになった犬の死骸も映される。
時は、1907年。クリスマスイヴに、市内の劇場を営むエグダール家の一族は、そこに出ていて今は女優を引退している一族トップのエレーナ(グン・ヴォールグレーン)の下に、一同が会する。
エレーナの長男オスカル(アラン・エドワール)、その妻エミリー(エヴァ・フレーリング)、長男アレクサンデル(バッティル・ギューヴ)、長女ファニー(ペルニラ・アルヴィーン)を中心に、エレーナの次男カールと妻リディア(クリスティーナ・ショリン)、三男グスタフと妻アルマ(モナ・マルム)、劇場所属の俳優たち、複数のメイドたちもテーブルについて、豪華なイヴの晩餐が始まる。・・・・・・
ストーリーの中軸は、エミリーとその二人の子、アレクサンデルとファニー、特にアレクサンデルである。
オスカルが病死したことで、エミリーは、街では人格者とされる主教のエドヴァルド・ヴェルゲルス(ヤン:マルムシェー)と再婚するが、三人がヴェルゲルス家に引っ越すと、必要以上に厳格なエドヴァルドの別の顔を知ることになる。特に、アレクサンデルには、教育と称し、体罰や屋根裏部屋への監禁を命ずる。アレクサンデルは、父オスカルの葬儀にエドヴァルドが現われ、母エミリーと話している頃から、エドヴァルドには嫌悪感を抱いていた。
アレクサンデルに対するエドヴァルドの酷い仕打ちをエミリーから聞いたエレーナやグスタフ、カールは、エレーナの昔からの友人であり愛人でもある骨董商人イサク・ヤコビ(エルランド・ヨセフソン)に依頼し、大きな箱に二人を入れて、ヴェルゲルス家から脱出させる。
エミリーもそこを逃れ、実家に戻っていたところ、ヴェルゲルス家に火災が起こり、エドヴァルドも巻き添えで死亡したことが知らされ、実家での平穏な生活が再び始まる。
ラスト近く、アレクサンデルとファニーは、エミリーが生んだエドヴァルドの子と、グスタフが、妻アルマ公認の下、エクダール家のメイド、マイとの間に出来た子、という二人の赤ん坊の誕生を祝う席にいた。メイドや劇場俳優も、一族とともに、大きな円卓を囲んでいた。
劇場は、オスカーの遺言どおり、エミリーが運営を引き継ぐことになり、新しい企画として、エミリーは、久々に、義母・エレーナにも出演を請う。エレーナは快諾した。エミリーの提案した演劇は、スウェーデンの劇作家・ストリンドベリの『夢の戯曲』(Drömspelet、1902年)という作品であり、その台本を読んでいると、アレクサンデルがやってきて、エレーナの脚に顔を乗せ、エンディングとなる。
一族の約二年間の出来事を、アレクサンデルとファニーを中心に描いた豪華絢爛な大作である。
エグダール家の屋敷は大邸宅であり、部屋が幾つもあり、メイドも数人いるほどだ。イヴの晩は特別な日とはいえ、豪華な飾りつけや家具類などに圧倒される。
エレーナを軸とし、嫁であるエミリー、その長男アレクサンデルの心の内を、ストーリー上は難解になることもなく、誰が見てもわかるような台詞や因果関係で、歩くようなテンポで展開していく。それだけに、イサクやグスタフなど、同一人物によるとてつもなく長いセリフが数箇所に入ったり、激しく長めの応酬があると、そのシーンに限って飽き飽きすることもあるが、全体の流れからすれば、やむを得ぬエピソードなのだ、と了解するしかない。
亡霊と題する第2部からは、亡くなったはずのオスカルが、時折、アレクサンデルの前に姿を現わす。ファニーと二人で、その亡霊を目撃するシーンもある。オスカルはいつも、上下白っぽい夏のスーツで現われる。このオスカルの亡霊は、何度か姿を現わしている。
また、脱出してきた二人をかくまうイサクの家には、イサクの甥アーロン(マッツ・ベルイマン)と、その弟イスマエルが同居しており、アーロンは料理もつくり、寝床も整えるなどする人形の愛好家で、迷路のような廊下には、日本の能面も置かれている。イスマエルは、精神に異常をきたしているということで幽閉されており、アレクサンデルにとりとめのない話をしつつ、アレクサンデルの服に手をかけ、両肩を露出させ、アレクサンデルの頬に顔を寄せる。
イスマエルは男であるが、髪を短くした女優スティーナ・エクブラッドが演じており、観ていても顔つきや声から女優とわかるが、役柄の上では男なのである。
多額の製作費がかかったであろう作品であるが、ある一族の二年間の絵巻を、美しい映像の中に描写した佳作である。
終わりかたもよかった。二人の赤ん坊は、この一族の未来あることを暗示し、エグダール家の仕事である演劇も続いていくことが約束されている。
登場人物である夫婦は、それぞれにいろいろな問題や課題を抱えているが、それでも常に心通じ合い、愛し合っている姿がほほえましい。エレーナとイサクにしても同様で、長い間、連れ添い、付き合ってきた男女や人間の関係を、とても「すてきな形」として描写している。
本作品には中軸をなすストーリー展開があり、これを中心とした群像劇であるので、観ていて特に混乱はしない。アンドレイ・タルコフスキーの、同じく自伝的作品とも言われる『鏡』(1975年)は、選ばれた映像が流され、観る側が何とかつなぎ合わせていかねばならない、という点で、映像の氾濫であり、映画としてのまとまりは、本作品のほうが優越している。
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