映画 『ギルティ』

監督:グスタフ・モーラー、製作:リナ・フリント、脚本:グスタフ・モーラー、エミール・ナイガード・アルベルトセン、撮影:ジャスパー・J・スパニング、編集:カーラ・ルフェ、音楽:カール・コールマン、カスパー・ヘッセラーガー、主演:ヤコブ・セーダーグレン、2018年、88分、デンマーク映画、原題:Den skyldige(有罪)


電話からの声と音だけで誘拐事件を解決するという異色なサスペンスであり、第34回サンダンス映画祭で観客賞を受賞している。


アスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)は、警察の緊急通報指令室のオペレーターとして、マイクとPCの画面に向かい合っていた。

今夜も、いくつかの電話を受けるうち、今まさに誘拐されているという女性から通報を受ける。女性の近くには犯人がいて車を運転しているようだ。女性は、娘にかけるという理由で携帯を使い、自宅にいる娘にかけるふりをして、ここにかけてきたのであった。

目の前のPCには、電話してくる相手の電話番号や所有者名が出て、電話の主がイーベン(イェシカ・ディナウエ)という名前であることはわかった。また、電話を発信している基地局の円形の範囲は画面に出るが、場所の特定まではできない。

こうした状況のなかで、イーベンとの電話を保留にしながら、アスガーは、地域の警察と必死のやりとりを行ない、イーベンの乗せられた車を突き止めようとする。・・・・・・


画面には、アスガーのいる指令室と、その隣のへやしか出てこず、すべては、イーベンや最寄りの警察の担当者とのやりとりの音声だけという特異な映画だ。


アスガーがかける電話もある。地元の警察以外に、あす会う約束をしている同僚はじめ、イーベンの夫や娘である。

電話は保留シーン以外では、同時に話せないわけだから、脚本が緻密に用意されていないと、この映画の実現は難しかったはずだ。


アスガーが必死に事件解決に向けて動く熱意は、誘拐事件であり音声だけが頼りである画面から、見ているほうにも充分伝わってくる。一本の電話線でしかつながっていないため、最後まで緊迫感が途切れることがない。

これもまた脚本の秀逸さにもよるのであり、単調になるかも知れない展開を、いわば、どんでん返しの要領で新たな事実を明らかにし、最後まで引っ張って行ってくれる。


回想シーンもなく、カメラが屋外に出ることもなく、ワンステージものではあるが、そこに多くの人物が登場するわけでもない。その意味でも、88分が限界であったろう。

コンパクトにまとめられたサスペンスであり、警察内部におけるアスガー自身の置かれた立場にも触れ、脚本勝負の映画として、できることはすべてやった、という映画である。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。