監督:黒木和雄、製作:大塚和、三浦波夫、企画:多賀祥介、原作・脚本:中島丈博、撮影:鈴木達夫、照明:伴野功、美術:木村威夫、丸山裕司、編集:浅井弘、録音:久保田幸雄、音楽:松村禎三、主演:江藤潤、原田芳雄、馬渕晴子、1975年、117分、ATG。
昭和30年ころの高知県中村市(現在の四万十(しまんと)市)の海岸付近の村が舞台。
信用金庫に勤める20歳の沖楯男(おき・たてお、江藤潤)は、勤めながらも、シナリオライターの夢を捨てきれずに、毎晩遅くまで、書き物をしていた。
父・清馬(ハナ肇)は、他の女のところに入り浸り、家にはおらず、実質、母・ときよ(馬渕晴子)と祖父・茂義(浜村純)との三人暮らしであった。
楯男には、密かに思いを寄せる涼子(竹下景子)がいたが、気持ちを素直に伝えきれずにいた。楯男には、利広(原田芳雄)をはじめとする不良仲間もいた。
ある日、楯男の幼馴染みで大阪のキャバレーで働いていたタマミ(桂木梨江)が帰省してくる。タマミはヒロポン中毒になっており、村の若者たちは、毎晩、浜にいるタマミと関係をもっていた。・・・・・・
古き良き時代の地方の青年たちの一面を切り取った作品だ。
祭りの準備とは、いよいよ楯男が東京に出発するラストにいたるまでの、楯男自身の生活を象徴している。この準備期間をもとに、東京でひと旗上げようとする楯男の志である。
脚本家・中島丈博の半自伝的作品である。中島は、1945年に、中村市へ疎開しているが、そこでのプライバシーなどない地元住民の赤裸々な生活に衝撃を受け、それが作風にも影響を与えたという。
厳格な男女の関係などというものは、まだこの原始的な村にはない。好色でやくざで欲情の向くままにその日暮らしをする男が、村全体の中心だ。
タマミは子を授かるが、それは祖父・茂義の子であったり、清馬が身を寄せている女が死ぬと、のこのこと自分の家に帰ってきたり、と、一般の論理や秩序などというものは、まだ確立されていない。
楯男は、最後にはようやく、涼子に気持ちを伝えることができるが、こうした村のもつ雰囲気のなかで、ようやくたどり着いた決心であった。だが、それさえ放棄して、彼は脚本家をめざし、誰にも言わず、故郷を後にするのである。
むさ苦しいストーリー展開のなかで、たまに海のシーンが出てきたり、街の映画館のシーンが出てきたりする。カメラに特別な動きは見られないものの、フレームどりがすばらしい。室内でも野外でも、どこでフレームを切るかは、映像である映画の生命にかかわってくるが、撮影の鈴木達夫はドキュメンタリー映画の畑出身でもあり、各シーンの意味をよく把握した画面構成がなされている。
原田芳雄は、相変わらずの存在感を示し、もうひとりの主役とも呼べる位置を築いている。ほかに、先月亡くなった原知佐子や、絵沢萠子、湯沢勉、真山知子、森本レオ、阿藤海らの顔を見られるのもありがたい。
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