監督・製作:ロバート・ワイズ、原作:ウィリアム・P・マッギヴァーン、脚本:ジョン・O・キレンス、ネルソン・ギディング、撮影:ジョセフ・ブルン、編集:デデ・アレン、音楽:ジョン・A・ルイス、主演:ハリー・ベラフォンテ、ロバート・ライアン、エド・ベグリー、シェリー・ウィンタース、1959年、96分、白黒、原題:Odds Against Tomorrow
『バナナ・ボート』(1956年)などで知られる黒人歌手のハリー・ベラフォンテが、自ら立ち上げた会社で製作した映画。自身も出演している。
アール・スレイター(ロバート・ライアン)が、古い知り合いのデイヴ・バーク(エド・ベグリー)に呼ばれ、ニューヨーク・ブロンクス地区の古アパートの一室に、バークを訪ねる。
バークは、生活費ほしさのために、銀行強盗を決行しようと計画していたが、そのために、あと二人の仲間が必要なのであった。スレーターには二つの前科がり、初め、断ったが、金額の大きさに頷くのであった。
一方、バークは、酒場で歌手をしているジョニー・イングラム(ハリー・ベラフォンテ)にも話を持ち掛ける。ジョニーは、白い高級車に乗り、高価な衣服を身にまとっているが、実は、競馬で大損をしており、暗黒街のボスであるバコ(ウィル・クルーヴァ)に多額の借金があった。先妻とわが子に今でも会うジョニーは、最初、断ったが、バークがバコのネジを巻き、ジョニーはバコに、早く返済しなければ母子もろとも殺す、と脅され、しぶしぶ引き受けることになる。
目的の銀行は、ニューヨークのはずれにある。午後6時に閉店したあと、しばらくして、出前の軽食が、従業員通用口に届くならわしとなっていた。配達員が持ってくると、守衛はチェーンをかけたまま、その軽食の箱を受け取るが、その瞬間に、押し入ろうというのが、バークの計画であった。・・・・・・
銀行に向けて、スレイターが車を出すのは、全編の3分の2を過ぎたところからで、それまでのストーリーと、ほぼ2:1の比率になっている。
この映画では、強盗そのもの以上に、三人の生きざまや、その時々の心理を描写するほうに、力点が置かれている。
ジョニーは、歌やパーカッションはうまく、おしゃれで優しい一面があり、本来、とても銀行強盗に加わるようなカヤラクターではない。それでも、借金を一気に返すために、妻と争ってでも、強盗の仲間に加わるのである。バコに、もしあすまでに返さなければ母子の命も奪う、と言われたことなど、一切、先妻には言わない。
強盗に失敗し、バークが警官に撃たれたときも、自分たちだけで逃げず、バークを見捨てることなく、何とか彼を助けようとする。
これに対し、スレイターは、バークは放っておいても、自分は逃げるという態度を示したため、最後は、ジョニーがスレイターを追いかけ、製油所での悲劇に終わるのである。
スレイターの人格描写も徹底的だ。愛人ロリー(シェリー・ウィンタース)のへやに転がり込んでいるが、プライドと偏見だけは一人前の男だ。バーの中でも若者たちとのトラブルや、ジョニーを知ってからの黒人であるジョニーへの態度など、自己中心的であり、今日までの自らの人生の不運は、すべて世間や他人のせいだ、という人物だ。ロリーのいないときには、上の階の家庭ある女ヘレン(グロリア・グラハム )を抱いている。
こうして、ストーリーがきちんと映像に落とし込まれ、キャラクター描写が鮮やかであり、単なるフィルム・ノワールに終わっていない。
黒人に対する偏見をもつ白人、それぞれ、脛に傷をもつ男たちが計画し実行する、滑稽に見えるほどの銀行強盗決行を、大真面目に描き切った稀有な作品だ。
銀行のある街に早めに着くと、三人は、6時に会うことを約束して、一旦別れる。
ジョニーは、河端に座り、景色を眺め、ゴミといっしょに浮かんでいる人形に目を遣る。スレイターは、車で休んでいると、ウサギが現われたので、逃げる瞬間に一発撃ってみる。バークは、河端の少し高い所から、夕暮れを迎える景色を眺めている。
このあたりの演出や個人の表現が、その後の稚拙な強盗の前置きとして、実に効果的だ。
カメラに、特に変わったところはない。ツーショットの神妙な会話シーンではほとんど動かず、賑やかなシーンなどでは、カットを早めに切り返すなど、基本に忠実だ。それでこそ、この内容の映画であっても、品格を帯びてくるのである。
強盗に至るシーンまで、即ち、始まりから3分の2あたりまでは、室内シーンが多い。そこでは、さまざまに小さなくふうは見られる。座っている人物を、上から撮ったり、床から撮ったりし、映像が退屈にならないよう配慮している。スレイターが、ヘレンとひと時と過ごす前には、スレイターと女の目元部分のクローズアップを交互に使っている。このあと情事が行われたという予期になっている。
ラストで、スレイターとジョニーが互いに発砲し、石油タンクに引火し、大爆発する。その火が消し止められ、消防士や警官が右往左往するシーンがラストだ。
二人の焼死体を覆う毛布を剥いで、消防士が警官に言う。「どっちがどっちかわかりませんが。」(Which is which ?)
すると、警官が言う。「どっちがどっちでもいいよ。」(Take your pick.)
そして、「止まれ。行き止まり。」という看板が映り、カメラはパンダウンして、薄汚い水たまりを映す。
オープニングの映像と音楽に注目したい。
シェリー・ウィンタースは、『陽のあたる場所』(1951年)、『ロリータ』(1962年)、『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)などで知られる女優。
エド・ベグリーは、『私は殺される』(1948年)、 『十二人の怒れる男』(1957年)などで知られるベテラン俳優。
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