映画 『暗闇にベルが鳴る』

監督・製作:ボブ・クラーク、脚本:ロイ・ムーア、撮影:レジナルド・モリス、編集:スタン・コール、音楽:カール・ジットラー、主演:オリヴィア・ハッセー、1974年、98分、カナダ映画、原題:Black Christmas


ある女子の学生寮で、ジェス(オリヴィア・ハッセー)たちは、クリスマス・パーティーを行なっていた。

その最中に電話がかかってくる。電話の声は複数で、怒鳴り合っているようでもある。電話の混線かと思いきや、また同じような電話が続く。

あす、ボーイフレンドと旅に出るクレア(リン・グリフィン)は中座し、二階の自分のへやに入り、支度を始めるが、クローゼットの奥に潜んでいた何者かに殺されてしまう。

その後も、気味悪い電話は続いた。・・・・・・


クレアが行方不明になった翌日、ジェスは、ボーイフレンドの音大生ピーター(キア・デュリア)と会う。ジェスはピーターの子供を身ごもっていた。将来を見据え、ジェスは中絶したいとピーターに告げるが、ピーターは是非生んでほしいと言って聞く耳をもたず、別れてしまう。


終盤、ようやく警察が本格的に動き出したが、この時代は、当然、逆探知には手間がかかる。ようやく成功したが、気味悪い電話の発信は、意外にも、ジェスらのいる女子寮の二階の電話機からであった。

最後にかかってきた電話に出たジェスは、電話の会話にあった言葉が、昼間、ピーターが使った言葉どおりであり、愕然とする。

ひとり、寮内に残ったジェスは、注意を促す警察からの電話で、警官が誤って、犯人は寮内にいる、と言ってしまったため、すぐに脱出せず、火掻き棒を持ち、二階に上がったままの仲間を探そうとする。窓の外からは、ピーターが自分を呼ぶ声がし、やがて、ガラスを破ってピーターが入ってくるが、ピーターを犯人と思い込んでしまっているジェスは、ピーターを殺してしまう。


46年前当時としては、実に画期的で、サスペンスを盛り上げ、観客はさぞ怖い思いをしながら観ていたのだろう、と想像できる。

携帯電話の時代ではなく、いきなり、電話の向こうから、薄気味悪い声や絶叫が聞こえてくれば、ただ聞いているだけとはいえ、身の毛もよだつであろう。


冒頭からすぐに、犯人目線で、女子寮の建物や室内が映される。この犯人のまなざしと、ジェスらそこに住む人物を捕えた映像との対比で、ストーリーは進んでいく。観客は、どちらも体験するので、ジェスらのいるシーンが映るときでさえ、それは犯人が見ているものと思うので、恐怖心が増すのである。


そして、さらに、ジェスらの目線でもなく、犯人の目線でもない、もうひとつのまなざしがある。目を開いたままビニール袋をかぶされ殺されたクレアの姿を、カメラが、時折、映す。この目線は、最後に、実は犯人はピーターではなく、まだ誰も知らない第三者であることを暗示することにも、うまく使われている。


サスペンスで、これだけのストーリーであるなら、約100分の映画が限界だろう。それでもなお、短くできるところもある。リアリティを盛り込むためには、なかなかカットしにくかったのかも知れない。


この映画の出現により、若い女性を恐怖に突き落とすようなサスペンスやホラーが生まれることになったと言われている。

その後、この系統のさまざまな映画を観てきているわれわれには、今一つ、メリハリもなく、ひねりもなく、単調で退屈な映画と受け止められてしまっても、やむを得ないだろう。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。