映画 『或る殺人』

監督・製作:オットー・プレミンジャー、脚本:ウェンデル・メイズ、原作:ロバート・トレイヴァー、撮影:サム・リーヴィット、音楽:デューク・エリントン、タイトルデザイン:ソール・バス、主演:ジェームズ・ステュアート、リー・レミック、1959年、160分、白黒、原題・Anatomy of a Murder(=殺人の解剖学)


ミシガン州のとある地方の街が舞台。

ポール・ビーグラー(ジェームズ・ステュアート)は弁護士であったが、仕事の依頼もなく、魚釣りをする日々を過ごしていた。

ある日、親友のパーネル(アーサー・オコンネル)に、ローラ・マニオン(リー・レミック)という女性から仕事の依頼があったことを告げられる。ローラの夫で陸軍中尉のフレデリック・マニオン(ベン・ギャザラ)は、妻をレイプしたとされるバーニーという男を射殺し、起訴されていた。 

ポールはローラに会ってみたが、軍人の妻らしくなく、浮ついた印象の女性であった。・・・・・・ 


これが映画ではなく、学問であるとしたら、「広く・深く」が目的なのだからよかったかも知れないが、映画はいかなるジャンルであろうと、基本にエンタメ性がなければならず、その条件は、結果的に、「広く・浅く・わかりやすく」「狭く・深く・シリアスに」のどちらかになる。

本作品は、ストーリーや登場人物を、「広く・深く」描写しようとしたことが、却って徒となった作品だ。

開始から約1時間で法廷中心のシーンとなり、そこから1時間弱で、検察側有利に力点が置かれ、さらに終息に向け、弁護側有利の材料が出てきて、結果としてフレデリックは無罪となる。


ポールという弁護士像を公私にわたり浮き彫りにしようと、パーネルや秘書のメイダ(イヴ・アーデン)の描写がしばしば長めに挟まれる。冗長な部分も多い。


法廷シーンでは、ポールと、検察官二人、裁判長(ジョセフ・ウェルチ)、証人相互のやりとりが、詳細に、時として熱を帯びてなされる。

事件の概要をあらかじめ観客に示しておいて、あとで法廷シーンに移る映画ではなく、この映画では、観客には断片的な情報しか与えず、法定でのやりとりで初めて、細かい事実が観客にもわかる、という筋立てになっている。

観客を飽きさせないよう、つまり、ネタバレを防ぐという意味合いもあるのだろうが、ほとんどが法廷での会話劇に委ねられており、観ていてややイライラするのである。


カメラワークには特段変わったところもない。音楽は、デューク・エリントンのジャズがオープニングはじめ、時折流れる。これは、ポールがジャズを好きで、たまに自宅のピアノで、ジャズを弾くシーンにも重なっている。


この160分の映画は、120分にできたはずであり、160分でなければならない理由がなく、誠実な作りのわりに、エンタメ性を失ってしまっている。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。