映画 『かくも長き不在』

監督:アンリ・コルピ、脚本:マルグリット・デュラス、ジェラール・ジャルロ、撮影:マルセル・ウェイス、編集:ジャクリーヌ・メピエル、ジャスミン・チェスニー、音楽:ジョルジュ・ドルリュー、主演:アリダ・ヴァリ、ジョルジュ・ウィルソン、1961年、98分、フランス映画、モノクロ、原題:Une aussi longue absence


監督は、アラン・レネの『去年マリエンバートで』(1961年)で編集を担当していたアンリ・コルピ、音楽は、フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』(1962年)やオリヴァー・ストーンの『プラトーン』(1986年)で知られるジョルジュ・ドルリュー。

主題歌「三つの小さな音符(Trois Petites Notes De Musique)」は、監督のアンリ・コルピ作詞、音楽のジョルジュ・ドルリュー作曲で、コラ・ヴォケールが歌っている。

本作品は、同年の第14回カンヌ国際映画祭で、パルム・ドール(最高賞)を受賞している。


パリ郊外の裏通りで、テレーズ・ラングロワ(Thérèse Langlois、アリダ・ヴァリ)は、Café de la Vielle Église(古い教会のカフェ)という名のカフェを営んでいた。彼女に気のある男もいた。

時折、オペラの一節を口ずさみながら店の脇を通る大柄の浮浪者の男(ジョルジュ・ウィルソン)が気になっていた。ある日、店員のマルティーヌ(ディアナ・レプヴリエ)に頼んで、声をかけさせ、店に連れては来たが、その男は、記憶喪失だと言う。男は16年前、ゲシュタポに強制連行され、行方不明になっている夫のアルベールにそっくりであった。

テレーズは、黙って帰る男の後を追う。男が住んでいるのは、セーヌ川の畔に建てられた小さな小屋であった。・・・・・・


テレーズは親類に同席させ、男を店に呼び、意図的に、人名や地名を入れた会話を行なうが、男はそれらにほとんど反応もしない。やがてテレーズは、男を食事に招き、何とか、断片的な記憶だけでも蘇らせることができないか、といろいろ話を畳みかけるが、それも徒労に終わる。せめてダンスでも、と言って、二人は緩やかなダンスを踊る。


テレーズにとっては、この16年は、まさに、夫が不明になったままの<かくも長き不在>のうちに生活してきており、夫にそっくりなこの男を見て、思いが募ってしまう。

映画のなかで、この男が、夫であったかなかったかは明らかにせず、親類の話などからすれば、この男が夫ではないことは暗示されている。

しかし、その不在を埋めるかのように、テレーズはこの男に、過去の思いをぶつけていくが、ラストで、この男は、またどこかに行ったことになり、テレーズの思いは徒となる。


内容柄か、全体に、カメラが優しい。優しく動くし、優しく接近する。

ラストで、男が店を出て去って行くとき、店に顔なじみの男たちや近所の人間が、テレーズと一緒に、大声で、「アルベール・ラングロワ!」と呼びかける。このシーンで、カメラは大きく引いて、人物があたかも舞台上に散らされて立っているかのようになる。モノクロで最も効果のある、白黒と光によるダイナミックな映像が収められている。

その後の男のとった仕草は、観ていて辛いものがある。いくら記憶喪失とはいえ、大声で呼びかけられると、男は立ち止まり、両手を挙げたからだ。


とあるカフェの女主人のはかない思いを、優しい映像に綴った傑作だ。



日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。