映画 『フォルトゥナの瞳』

監督:三木孝浩、脚本:坂口理子、三木孝浩、原作:百田尚樹『フォルトゥナの瞳』、撮影:山田康介、編集:坂東直哉、美術:花谷秀文、照明:渡部嘉、録音:豊田真一、音楽:林ゆうき、主演:神木隆之介、有村架純、2019年、111分、東宝。


木山慎一郎(神木隆之介)は、自動車の修理工場でまじめに働く青年。両親が事故死したため、その工場の経営者、遠藤夫妻(時任三郎、斉藤由貴)が彼を引き取っていた。

仲間とのいざこざから、携帯を壊された慎一郎は、携帯ショップに行くが、受け付けてくれた桐生葵(有村架純)から、古い携帯なので直せないと言われる。葵の好意から、応急処置程度に携帯を直したもらった慎一郎は、これを機に、葵に惹かれていく。

ある日、慎一郎は、すれ違いざまにぶつかった青年の手の先が、自分の目からは透けて見えることに気が付き、後を追うと、目の前でその青年は車にはねられ、死んでしまう。・・・・・・


単純に、さっぱりとした出来の作品。再度観ることはないだろうが、こじんまりとよくまとまっており、よくも悪くも、いわゆる<胸キュン映画>の典型だ。


冒頭からの「入り」や、常にパンしながら優しく対象を映し出すカメラワークは注目されてよい。穏やかな光や淡い色調のセット・小道具類など、心理ドラマを心得たシークエンスが心地よい。ゆったりとした話の展開にふさわしいテンポに、シーンや音入れが歩調をそろえているからで、観る側も安心して観ていることができる。


神木隆之介主演の映画は、『桐島、部活やめるってよ』(2012年)以来だが、『桐島…』と違い、内容柄、バストショットやアップの多い本作品で、しっかりとした目の演技ができることが証明されている。

時任三郎、斉藤由貴も久しぶりに見るが、それぞれ過不足ない演技力で、主役らを盛り立てている。


全体に、静かに穏やかに進行する一方、もう少し、本筋を盛り上げることになるサイドストーリーを挿入できなかったか、と惜しまれる。


原作を知らないが、慎一郎が遠藤夫妻に引き取られた経緯、慎一郎の育った環境、慎一郎や葵の日常生活、金田(志尊淳)を慎一郎が雇用する経緯、そして、根本的な疑問、慎一郎が<フォルトゥナの瞳>をおそらく自らの意志に反してもってしまった経緯、その<フォルトゥナの瞳>が、いずれは死ぬ運命にある人間に対し、なぜ、直後から数日間後に死ぬ未来だけが透けて見えるのか、また、見える運命がなぜ<不運>なほうばかりで<幸運>なほうには作用しないのか、など、ある程度掻いつまんででもよいから、エピソード、または、過去の出来事として挿入してもよかった。

仕事ひと筋にやってきた慎一郎が、葵と出会うことで、笑顔が多い明るい表情になった、というところも、描き切れていない。

これらをうまく挿入するこどで、<慎一郎と葵>一辺倒の単線的なドラマを、より厚みあるドラマにしたのではなかろうか。


終盤にある葵による、慎一郎との出会いからの思い出を語るモノローグも、物語を整理する復習のようだ。これらをそれまでの随所に、言葉ではなく、映像で見せてこそ、映画なのだから。


「若い男女の悲しい運命を楽しむ」恋愛映画というなら、その限りにおいて見応えはあるだろう。

映像上のくふうはみられるだけに、惜しい作品である。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。