映画 『ヘンリー』

監督:ジョン・マクノートン、脚本:リチャード・ファイヤー、ジョン・マクノートン、撮影:チャーリー・リーバーマン、編集:エレナ・マガニーニ、音楽:ロバート・マクノートン、ケン・ヘイル、スティーヴン・A・ジョーンズ、主演:マイケル・ルーカー、1986年(公開は、1990年)、83分、原題:Henry: Portrait of a Serial Killer(ヘンリー:連続殺人鬼の横顔)


300人以上もの女性を殺害したと言われる、アメリカに実在した殺人鬼、ヘンリー・リー・ルーカスをモデルとした映画。

ヘンリーの相棒となったオーティス・トゥール(トム・トールズ)、その妹ベッキー(トレイシー・アーノルド)との同居生活も描かれる。ベッキーは、兄オーティスを頼って、子供を置いて家を出てきたが、三人で同居生活をするうち、ヘンリーに徐々に惹かれていく。・・・・・・


この映画は、殺人鬼を描きながら、さほどのエンタメ性を持ち合わせていない。ホラーともアクションとも言えぬこの映画は、しかし、製作費11万ドルにもかかわらず、興行収入は、61万ドルにもなった。


たしかに暴力的シーンは数か所に入り、それも実にむごたらしいのであるが、ヘンリーに、殺人をする動機そのものが見当たらない。強いていえば、殺人をおこなうこと自体がヘンリーの<生活習慣>となっているような感があり、まるで、仕事でもするかのように、脈絡のない理不尽な殺人を重ねる。


被害者に対し、ひとり一人に、細かい説明がない。といって、セコハンの電気器具を闇で売る太った男を殺すときは、その理由もわかるし、最終的にオーティスを殺すときには明確な理由もある。

一緒にオーティスを殺したベッキーをも殺したことは、道端に捨てられるトランクにベッキーの遺体が入っていることで暗示されるが、ヘンリーはそのまま去って行くそのラストシーンで、ヘンリーはいよいよ冷酷な悪魔のような人間だということがわかるのである。


いかにも殺人鬼のような顔や存在感をもたず、そのへんにいそうなありふれた男が、実は大量殺人犯なのである。


カメラワークにも、特筆するようなとことはない。電気屋から奪ってきたビデオで、見知らぬ家族三人を殺害するシーンでは、ヘンリーがビデオを回し、オーティスが女をいたぶるところを撮っている。撮影カメラ自体がビデオカメラになっている。


ホラー特有の血の演出が多い映画ではない。マフィアや殺し屋が、連続殺人をおこなうのではなく、その殺しも冷酷無惨であるところに、このヘンリーという殺人鬼の恐ろしさがうかがえる。


殺しを平然とおこない続ける冷酷な男を描いた点で、リチャード・ブルックスの『冷血』(1967年)を思い出させる。ミヒャエル・ハネケの『ファニーゲーム』(1997年)ほどの不愉快さはない。本作品は、決してファニーではないだけに、不愉快さも、観ている側の心のうちに、閉じ込められてしまうかのようだ。


日常性の地平

映画レビューを中心に、 身近な事柄から哲学的なテーマにいたるまで、 日常の視点で書いています。